『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、70年にフィルモアで行った伝説のライヴを収録したライヴ盤『Live At The Fillmore East』をリリースしたニール・ヤングについて。
NEIL YOUNG 『Live At The Fillmore East』
前回書いたフーの黄金期のライブも素晴らしいのですが、今回のニール・ヤングのライブ盤『Live At The Fillmore East』も凄いです。ボブ・ディランが過去の名ライブを〈ブートレッグ・シリーズ〉としてリリースしているように、ニールも過去のライヴ音源をシリーズ化していくらしく、今回がその第一弾。フジ・ロックで観た人は彼らのライヴの素晴らしさをわかっていると思いますが、このアルバムに収められた70年のフィルモアでのライブはそれ以上です。
ぼくは当時のヒッピーが作り出した空気が大嫌いです。みんなドラッグをやってぶっ飛んで、音だけを頼りに会場が一つになると信じている。そんな客に対して、ニール・ヤングは〈これがロックだ〉と客観視して演奏している感じがして、それがかっこいいと思えるのです。ニールはドラッグを一切しない人だったそうですが、それは反ドラッグの意思からではなく、元々自分の頭の中が壊れていると自覚していたから手を出さかったみたいです。
たぶん若い人には世界一のライブ盤がフーの『Live At Leeds』だという海外での評価がよくわからないと思います。ましてやニール・ヤングなんかは、もっとわからないんじゃないでしょうか。たとえばボブ・ディランについては〈ボブ・ディランは歌詞が凄いらしい。英語がもう少しわかるようになったら面白く感じるようになるのかな〉と納得出来ると思うのですが、ニール・ヤングは〈何が凄いのか?〉と尋ねられても説明ができないんです。居酒屋でロック談義をする酔っぱらいの親父と同じように〈ロックだから〉としか言えない。なぜカート・コバーンがあそこまで尊敬するのか、なぜオアシスがカヴァーするのか。ニール・ヤングはロックだからとしか言えないんです。
昔の話ですが、ビートルズのロック解釈は当時の若いミュージシャンに大きな衝撃を与えました。〈黒人がやっている音楽をこういう風にやるのか〉、〈アメリカ人でなくてもここまで理解出来るのか〉と、ビートルズの批評性に、当時楽器をやっていた若者たちはみんなびっくりしたのです。ストーンズに比べるとオコチャマ・バンドと考えられていたビートルズが、60年代にエリック・クラプトンなど、特にイギリスのミュージシャンから神聖な存在として語られていたのはそういうことなんだと思います。
ビートルズの衝撃で、ロックは幅広く広がって行きました。そんな動きの中で、ビートルズにまで衝撃を与えた凄いバンドがザ・バンドでした。彼らは、ビートルズが手本とした音楽のもっと源流を、自分たちで解釈して自らの音楽にしたのです。ビートルズの『Abbey Road』、『Let It Be』はザ・バンドに影響された作品で、エリック・クラプトンも〈今までやってきたことは全部おままごとみたいなものだった〉と考え、どんどんアメリカの南部へと入っていくことになりました。アメリカの源流の音楽を掘り下げる偉大なバンドといっても、ザ・バンドはニール・ヤングと同じカナダ人が中心メンバーのバンドなんですけどね。
それでぼくがニール・ヤングについて言いたいのは、彼がザ・バンドと同じようにロックの本質をやっているからみんながひれ伏すんだということです。ヘヴィ・ロックのような、音が大きいとか早いとかもロックの本質なんですけれど、ニール・ヤングはロックがその内面に抱えている本質を、今に再現しようとしているんだと思います。一般に60年代、70年代がロックの黄金期ととらえられていますが、実はロックンロールというのは50年代のものです。だからといって50年代の楽曲をカヴァーするのではなく、そういう音楽が生まれた精神を再現しようとしているところに、みんなやられてしまうのではないでしょうか。
ハーモニーの素晴らしさもアメリカ人がカントリーでずっと受け継いできたものだし、機材にしても古い50年代の真空管アンプとギターを使っている。古いアンプはエフェクターなんか通さなくても美しく歪みます。その歪みは新しいアンプの歪みはとは全然違って、なんともいえないツブツブというか、粒子が見える感じがするんです。そのザラザラ感が、本当のアメリカのロックンロールだと思えてしまうのです。それがアイルランド、フランス、アフリカのどこから来たのかはよくわからないけれど、海を渡ってきた人が作った音楽という感じがぼくにはするんです。
ニール・ヤングはそんなロックンロールやR&Bの本質を再現しようとしているんだと思います。綿農場で毎日働かされながらも、もしかしたら歌を歌っているだけで生きていけるかもしれないと思っていた人たちの、その絶望と希望にロックンロールを感じて、それをいつまでも歌い続けようとしているのです。ジョン・ライドンにはバカにされましたが、“Hey Hey My My”の〈錆びて消えていくより、燃え尽きるほうがいい〉という言葉もそういうことだったんだろうと思います。ニール・ヤングはパンクの本質もよくわかっていたのではないでしょうか。今の日本のような、機能が停止しかかってる社会で現状を維持するためだけに生き続けさせられていると感じた若者が希望を見いだしたパンクという音楽に、ニール・ヤングは50年代のロックンロールと同じ叫びを感じていたのです。
これがぼくのニール・ヤング論です。けっしてカントリーだとか、レイド・バックだとか、反体制、反戦とかそんなものじゃありません。これがロックンロールなんだ、どこかに消えてしまったロックンロールをニールは歌い続けようとしているんだと思って聴いてます。ぼくもいつの日かそういう歌を歌い、ギターが弾けるようになることを願って毎日生きています。