グループの栄光を支えた個性的な面々のソウルフルなビフォー/アフター
グループにメンバーの交替劇はつきもの。そしてそれはテンプテーションズ(公式の略称はテンプス)のような人気グループであればあるほど人々の関心を惹くものだ。先日DVDが邦盤化されたTV映画「ゲット・レディ! 栄光のテンプテーションズ物語」、またはパフォーマンス映像集「Get Ready -Definitive Performance 1965 To 1972」は、もうご覧になっただろうか。そこでも唯一の現役オリジナル・メンバーとなるオーティス・ウィリアムズの伝記や回想をもとにその事実が伝えられていたが、テンプスの歴史はさまざまな才能の出入りの歴史でもあった。
もっとも、上記のDVDで話題にされるのは、オーティス・ウィリアムズやメルヴィン・フランクリン、後にモータウンなどでソロ活動するデイヴィッド・ラフィンとエディ・ケンドリックス、ポール・ウィリアムズの5人がいた頃。“My Girl”などのヒットを飛ばした黄金期(64~68年)のテンプスだ。その前後、ラフィンの加入/脱退がグループに転換をもたらしたのは有名な話だが、ラフィン加入前にいたのが後にドラマティックスに籍を置くエルブリッジ・ブライアント、一方、ラフィンの後釜となったのが元コントゥアーズのデニス・エドワーズである。
デニス加入後は、71年に物故したポールの代わりにテンプスの前身ディスタンツのリチャード・ストリートが、エディの代役にデイモン・ハリスが就き、75年にはデイモンとグレン・レオナードが交替。デニスの一時脱退期(77~79年)には、後にモータウンからソロ作を出すルイス・プライスが在籍した。以降、83年にロン・タイソンが、84年にはデニスの後継者として熱血シャウターのアリ・オリ・ウッドソンが加入。94年からはリチャードの代わりにセオ・ピープルズ(現フォー・トップス)を迎え、その直後に他界したメルヴィンの後継者(ベース・ヴォイス担当)としてPファンク軍団のレイ・デイヴィスや元フューチャーズのハリー・マッギルベリーも名を連ねた。またアリ・オリ脱退後はオーティスの肝煎りで登場したフォー・ラヴァーズ・オンリーのテリー・ウィークスを迎え、セオ脱退後も元レイクサイドのバーリントン・スコット(現在は脱退)やスピナーズのリードだったGC・キャメロンなど、かつて名門グループに籍を置いた面々が加入している。その陰には歌唱力がありながらも(グループの加入規定である)身長が満たずに涙を呑んだ実力派もいたが、それにしてもここまで豪華な面々が出入りしたのも名門テンプスならでは。今回はその華やかな紳士録の一部を開いてみたい。
▼テンプテーションズのDVD。