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第78回 ─ マイノリティとして生きる疎外感を、一つの芸術作品に昇華させたブロック・パーティ

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2006/12/28   13:00
更新
2006/12/29   00:24
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文/久保 憲司

『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、待望のセカンド・アルバム『A Weekend In The City』を2007年2月5日にリリースするUKロック新世代の最重要バンド、ブロック・パーティーについて。

BLOC PARTY『A Weekend In The City』

  フットボール・アワーは2年前より頭角を表していた妄想漫才コンビ、チュートリアルに2度目のM-1グランプリ優勝を阻まれましたが、NMEの2005年度最優秀アルバムに輝いたブロック・パーティーの新作『A Weekend In The City』は、2006年度のイギリスの音楽シーンから予測すると、間違いなく2007年度最優秀アルバムに輝くとぼくは思います。

  『A Weekend In The City』は、普通のイギリスの青年の一日を一つのアルバムにおさめたシャム69の名作『That's Life』に匹敵する。いや、イギリスのモッズ青年の、週末の栄光と挫折と再生を描いたザ・フーの『四重人格』を超えるアルバムかもしれない。リード・シンガー、ケリー・オケレケは今作の着想を〈大都市の生活音〉に対する興味から得たと言っている。通勤、行きずりのセックス、金曜日の夜に出かけ早朝に帰る長い道のり、都市生活者の孤独、悩み、怒りなど、まさに都市生活者の風景、思いがこのアルバムの中に入っていようだ。

  ロック・バブルに浮かれるイギリスから、早くもこのようなアルバムが出て来たのはとても興味深い。昔パンクの後に起こったポスト・パンクはどんどんと暗い方向に向かっていきましたが、その先駆けは、今では誰からも話題にされないスージー・アンド・ザ・バンシーズの2枚目『Join Hands』でした。本人たちはストゥジーズの2枚目みたいな作品を作りたかったのかもしれません。実際に仕上がったのはレコード会社もよくこんな暗いアルバムにリリースのOKを出したなというくらいヘヴィなアルバムで、『A Weekend In The City』と同じように完結した、一つの芸術品みたいなかっこよさがあるんです。

  この時期のバンシーズのA&Rは初期の頃からパンクをサポートしてきたにもかかわらず、セックス・ピストルズとも、クラッシュとも、ジャムとも契約できなかったと言われているクリス・ボンでした。彼がいたからこそリリースできたということもあると思います。バンシーズはこのアルバムは失敗だったと自覚したのか、3作目からは吹っ切れたようにチャート・アクションのいい曲を作り出します。この辺からがみなさんの知っているバンシーズかもしれませんが、ぼくは、自分たちの国に怨念をかけたかのような『Join Hands』が引き金となって、イギリスのパンクはゴシックでヘヴィなものになっていったと思います。

  ぼくは『A Weekend In The City』がそんなキーポイントなアルバムのような気がするのです。スージー・スーが女性だったように、ケリー・オケレケが黒人だから、こういう視点が生まれたんだと思います。たとえイギリスで生まれたとしても、マイノリティはいつも異端者なのです。映画「さらば青春の光」では、黒人が売人という形でやっと仲間に加えてもらえる様子が描かれていました。

  イギリスのインディ・シーンから黒人のフロントマンが出てくる時代になっても、その本質は変わらないのです。その疎外感を、ケリーは誰もが感じる都市生活者の孤独に置き換えたのです。暗闇の中を一人歩いている時、誰かに突然襲われるのではないかという恐怖、一人で部屋にいるとき、本当に自分は誰とも繋がっていないという寂しさにかられ、自分はもういないんじゃないかと感じ、思わずアッと叫んでみてしまうような、そんなヒリヒリしたものがこのアルバムには詰まっています。

 このアルバムを聞いても、決して寂しくなんかはなりません。会社や学校にいく途中に聞きたくなるようなアルバムです。『A Weekend In The City』をヘッドフォンで聞きながら過ぎ行く景色をみていると、みんな辛いけど、一生懸命生きているんだなと思わせてくれるような、いつも見ている景色が一瞬輝いて見えるような気分になります。