ソウルの遺産を新たな視座からリフォーマット。今回は昨年末に逝去したリズム・キングに注目!
最初のロックンロール・ヒットを生んだ天才、アイク・ターナーを評価せよ!
暴君などと呼ばれ、〈恐い人〉というイメージが拭いきれなかったのが口惜しい。アイク・ターナーは、元妻ティナ・ターナーの自伝をもとにした映画「ティナ」(93年)でも冷酷非道な暴力夫として描かれ、完全に悪者扱いだった。確かにそういう事実があったことは後に本人も認めたし、麻薬問題や女性関係も凄まじかったと聞く。だが、それが彼のミュージシャンとしての類稀なセンスと力量を評価する妨げになっているのだとしたら、そんなに残念なことはない。2007年12月12日、76歳でこの世を去ったアイクは、そのちょうど1年前に他界したジェイムズ・ブラウンと同じぐらい、いや、JBに先んじて、プロデューサー、ソングライター、バンドの統率者として黒人音楽に革命をもたらした男だったのだ。
アイク(本名アイズィアー・ラスター・ターナー)は、出身がミシシッピ州クラークスデイルということもあってか、ブルースに囲まれて育った。40年代後半に結成した自身のバンド=キングズ・オブ・リズムもブルース~ブギを基調とし、ジャッキー・ブレンストンが歌った“Rocket 88”(51年:最初のロックンロール・ヒットとされる)を皮切りにシンガーのバック演奏を担当、〈ロッキンR&B〉とでも言うようなスタイルを築き上げていく。当初はピアニストとして活躍したアイクだが、その後はギターを武器とし、あまり歌わない(歌唱力が弱い)反面、ソリッドかつブルージーなプレイで感情を伝えるかのようにギターを鳴らし、アイケッツらの面倒も見ながらレコーディングやレヴューを精力的に行った。
そんな活動の中核を成したのが、アンナ・メイ・ブロックとのコンビ=アイク&ティナ・ターナーとしての活動(60年代初頭~70年代半ば)であることは衆知のとおりだろう。スー、ソニヤ、ケント、ロマ、A&Mなど数々のレーベルを渡り歩き、リバティに腰を落ち着けてからはロック・ファンにもアピールしたアイク&ティナ。表層的な部分では時流に乗ったアプローチも見えたが、彼らはどこまでも土臭く、根っからソウルしていた。もっとも、先述の映画で暴かれた実生活とは裏腹に、黙々とクールにギターを弾くアイクの姿は髪を振り乱して激唱するティナと比べれば地味に映ったが、あのエネルギッシュでダーティーな音は、抜群の統率力でバンドを指揮したアイクがいてこそのものだったことを忘れてはならない。リズムの帝王は、音符の上でも激しく暴れていたのである。