数々の名バンドを渡り歩いたアル・マッケイの知られざる偉業を再確認!
ギターの名手はソウル・ミュージックの世界にも数多い。そのなかでもファンク系のリズム・ギター、とりわけカッティング奏法の名手としてシックのナイル・ロジャーズと肩を並べたのがアル・マッケイ。そう、アース・ウィンド&ファイア(以下EW&F)のヒット“September”(78年)でコロコロと軽快なギターを弾いていた、あの人だ。みずからも作者に名を連ねた同曲で、彼の存在はソウル史において絶対的なものとなった。現在はアル・マッケイ・オールスターズを率い、来日公演のステージを収めたライヴ盤を発表したこともある彼。この3月、またまた日本にやってくるレフト・ハンドのギタリストは、今年めでたく還暦を迎える。
48年、ルイジアナ州ニューオーリンズで生まれたアル・マッケイ(本名アルバート・フィリップ・マッケイ)。彼がプロとしてのキャリアをスタートさせたのは、かのアイク・ターナーに見初められ、アイク&ティナのバンドに参加した時だったと言われている。時は66年、18歳のアルはいきなりタフな現場に首を突っ込むことになったわけだが、その後はワッツ103rdストリート・リズム・バンドに加入し、そこで数年間ジェイムズ・ギャドソンらと共にLAファンクの地固めを行う。かと思いきや、ほどなくしてバンドを去った彼は、続いてサミー・デイヴィスJr~アイザック・ヘイズのバック・バンドに順次加入。その途中にはシルヴァーズのツアー・ディレクターも務めていたというから、たった数年の間に〈一流〉の現場を渡り歩いていたことになる。
だが、続いて73年頃に加入したEW&Fは、ワーナーからコロムビアに移籍して間もない新進バンドだった。当時のアルにとって、EW&Fへの参加が〈栄転〉だったか否かは知る由もない。ところが、ギタリストとしてだけでなくソングライターとしてもアルが頭角を現しはじめると、バンドは上昇気流に乗っていく。そして、先述の“September”で絶頂期を迎えるわけだ。その後はモーリス・ホワイトとの意見の対立が原因で、80年作『Faces』を最後にグループを去ってしまうが、アル脱退後のEW&Fサウンドからあの小気味良さが減退したことを思うと、アルのサポートがEW&Fにとっていかに大きいものだったかがよくわかる。
EW&F脱退後はプロデューサーとしてシーンに貢献し、90年代には自身のLAオールスターズを結成。現在はアル・マッケイ・オールスターズ名義で活動を行う傍ら、ブリジット(・マクウィリアムズ)やドニーらのセッションにも参加している。伝説にして現役のギタリストでもあるアル・マッケイは、いまもギターの快音を放ち続けているのだ。
▼アル・マッケイ・オールスターズの作品。
▼近年のアル・マッケイ参加作を一部紹介。