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WILLIE MITCHEL

連載
360°
公開
2010/03/19   20:10
更新
2010/03/19   20:17
ソース
bounce 318号 (2010年2月25日発行)
テキスト
文/出嶌孝次

 

ハイかイイエで答えてください。ウィリー・ミッチェルを知っていますか?

 

Willie Mitcehll-A

ハイをUS音楽界の一大ブランドに躍進させ、アル・グリーンらを送り出してきたメンフィスの巨匠=ウィリー・ミッチェルが、新年を迎えて間もない1月5日に亡くなりました。享年81。1928年に生まれ、40年代後半に活動を開始してから……とその歩みを書き出せば枚挙に暇はありませんが、ここでは彼のキャリアと功績を簡単にまとめておきましょう。

ミシシッピはアシュランドで生まれ、テネシーのメンフィスにて育ったウィリーは、早くから地元でトランペット奏者として頭角を表し、BB・キングをはじめとするブルースマンやジャズ・シンガーのバックで経験を積んでいきます。並行して自身のバンドでも活躍し、後のMG'sメンバーをはじめとする敏腕ミュージシャンたちを育てました。そして、62年にハイと契約したことが彼自身により大きな未来をもたらすのです。

当初のウィリーはMG's同様にインスト中心のリーダー作でヒットを連発していましたが、徐々にシンガーのプロデュース業に比重を傾けるようになり、タイトで重たいリズムと洒落た意匠のストリングスやホーンが絶妙に絡む、いわゆる〈ハイ・サウンド〉を確立します。その過程で出会ったのがドン・ブライアントやアン・ピーブルズであり、アル・グリーンでした。若き日の彼はラフな唱法を持ち味にしていたのですが、ウィリーは柔和で囁くような歌い口をアルに徹底し、自身の理想のサウンドを完成させたのです。70年からは経営者としてもハイを舵取りしていたウィリーにとって、この時期が間違いなく黄金期でしたし、その黄金期の曲の膨大なカヴァーやサンプリングを含めれば、ウィリーの仕事を耳にしたことのない人はそういないのではないでしょうか?

80年に新レーベルのウェイロを設立した彼は、ハイのロイヤル・レコーディング・スタジオを買い取って、そこを拠点に活動を継続。ディスクガイドで紹介した以外にも、キース・リチャーズやポップス・ステイプルズ、ボズ・スキャッグス、ジョン・メイヤーといった大物たちがウィリーに助力を仰いだことは有名かもしれません。多くのミュージシャンに慕われた偉人のご冥福をお祈りします。

 

▼関連盤を紹介。

左から、BB・キングの56年作『Singin' The Blues』(Crown/Pヴァイン)、キース・リチャーズの88年作『Talk Is Cheap』(Virgin)、ジョン・メイヤーの2006年作『Continuum』(Columbia)

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