ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ 〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、ポスト・パンク界の伝説であり続けるワイアーのニュー・ アルバム『Red Barked Tree』について。それは〈ポップ〉という次元を超えた、状況主義的芸術作品であって――。
いまでも、僕が世界でいちばん尊敬するバンドはワイアーである。なぜ、彼らのことを尊敬するかというと、彼らこそがシチュエーショニズム(状況主義)を体現するパンク・パンドだからだ。
パンクというのは状況主義的だった。なぜ、パンクが状況主義的かというと、セックス・ピストルズのマネージャー、マルコム・マクラーレンやピストルズのデザインをやっていたジェイミー・リードが状況主義に影響されていたからである。
ピストルズの一連のデザイン――既成の印刷物を切り刻んで、新しいメッセージを作る――あのスタイルが状況主義である。資本主義社会における大量消費(印刷物)を〈スペクタクル(〈見世物小屋〉かな)とみなし、批判する(切り刻む)。そして、〈スペクタクル〉の対極にある〈状況〉を構築しようとする。それが状況主義なのである。かっこいい。
ピストルズの“Anarchy In The U.K.”でも、状況主義的思想が歌われている。ジョニー・ロットンは、無関心な通行人や買い物ばかりする奴――そんな奴らを変えることによって、イギリスをアナーキーないい国に変えることができるだろうと歌う。そのためには「NME」も使うぜ、と歌う確信犯なのだ。かっこいい。
パンクにはこういうメッセージがあった。パンク以前のロックが、ヒッピー的思想でユートピアをめざしたように、パンクもまた、アンチ資本主義を通じて社会の変革をめざしていたのだ。
こういうストレートな部分を体現していたのがピストルズだとすると、状況主義の意味不明な所を体現していたのが、ワイアーだった。何で状況主義が意味不明かというと、それは彼らが夢見た資本主義のその後である社会主義が、独裁政権となって敗北していたからである。
SF的に言うと、ピストルズが外宇宙に向けて発していたとするなら、ワイアーの歌詞はJG・バラードな内宇宙(自分)に向けられていたということかもしれないけど。
なんて、難しいことを書いてしまいましたが、ワイアーの素晴らしさは音を聴いてもらえればわかる。コリン・ニューマンによるシド・バレット~ブライアン・イーノ直系の素晴らしいメロディーと、現在のミ二マル・テクノやハウスに通じる、あのストイックでストレンジな音。いままでは、それが分散したりすることもあった。それがワイアーの解散の原因だったと思うが、しかし、新作『Red Barked Tree』ではその融合が素晴らしい。
そして、自分たちのスタジオを持っているからだろう、音そのものが素晴らしい。マンネリになることなく、初期の暴発とこれまでの実験が、ワイアーのなかで見事に覚醒している。これこそが、僕はポップであり、ロックンロールだと信じている。そして、こんな実験的なワイアーの音がポップスに成り得るということは、90年代にエラスティカが証明してくれている。しかし、ここでのワイアーはもう、〈ポップ〉とかそういう次元ではない。これは芸術である。状況主義的芸術である。何十年もブレずにずっとこの位置に居続ける彼らを、僕はずっと好きだった。そのことを自分でも誇りに思う。