時代の変化を生き延びたメロウなサウンドメイカーのマックなソウル道
鍵盤ハーモニカやアープ・シンセ、リズムボックスなどを駆使してモダンでメロウな音世界を創り出すシンガー・ソングライター、ロニー・マクネア。70年代にはRCAやモータウンに籍を置くもほとんどヒットが出ず、知名度も低いままだった彼を後になって評価したのは日本やUKのリスナーだった。特にUKではノーザン~モダン・ソウル的な文脈で人気を集め、自主制作の『Love Suspect』(87年)をエクスパンションがリリース。そのエクスパンションがこのたび復刻したモータウン時代の『Love's Comin' Down』(76年)に7曲もの未発表音源が追加されたのは、そんな縁もあってのことなのだろう。そこに収められた未発表曲、例えば“Love Proposition”をいま聴くとスタイル・カウンシルやジャミロクワイのようなジャズ・ファンク的感覚があって、なぜ彼がUKで支持されてきたのかもわかる気がする。
一方で、現在のロニーがフォー・トップスに籍を置いていることは、いまやよく知られた話だろう。97年に他界したローレンス・ペイトンの後釜としてグループに加入したロニーは、もともとトップスのロナルド“オービー”ベンソン(2005年に他界)と旧知の仲で、その縁でトップスの諸作に関与。ゆえに、ロニーのソロ作にオービーとの共作曲が収められることも少なくなかった。
51年にアラバマ州キャムデンで生まれ、デトロイトに近いミシガン州ポンティアックで育ったロニーは、かつてモータウン傘下のワークショップ・ジャズに契約を持ちかけられたほど、ジャズに傾倒していた。そのことは後の作品群を聴いてもわかるが、当初はバスケットボール選手になることを夢見ていたロニーが音楽を選んだのは、交通事故で脚を負傷したからだという。夢を変えたロニーは、〈ピアノの天才少年〉とまで言われるほど腕を磨き、65年に地元のタレント・コンテストで優勝。それを機にプロ活動を始め、68年にはデトからシングルを発表する。
やがてLAに向かったロニーは、モータウンの裏方からフリーに転身していたミッキー・スティーヴンソンと再会し、その妻キム・ウェストンのいたゴスペル・クワイアに参加。72年、キムの口利きで契約したRCAからアルバム・デビューを果たすわけだ。クワイアでは、ソロ作でも共同で曲を書くことになるアンドレ・ムーア(リネイ・ムーアとされる)とも出会い、84年にはそのムーアがリネイ&アンジェラとして書いた“Come Be With Me”をキャピトルからヒットさせたこともあった。70年代後半にはドン・デイヴィスのもとでも吹き込むなど、確かな腕を持つ音楽仲間に支えられてキャリアを重ねてきたロニー。一方でリスナーからは70年代の楽曲がステッパーズ・アンセムとして愛され続け、2007年には、巷のステッパーズ人気を受けてか、10年ぶりの新作を発表して持ち前の甘いテナーを披露。クロスオーヴァー性を持ちながらアフロセントリックでもあるロニーのモダンにして尖鋭的なセンスは、時を経るごとに効能を発揮しているようだ。
▼ロニー・マクネアの近作。
左から、80年代の録音も含むベスト盤『The Best Of Ronnie McNeir』(Expansion)、2007年作『Ronnie Mac & Company』(Jupiter Island)