続々とリイシューされる幻の名盤や秘宝CDの数々──それらが織り成す迷宮世界をご案内しよう!
私は内山田百聞。売れない三文作家であるが、道楽のリイシューCD収集にばかり興じているゆえ、周りからは〈再発先生〉などと呼ばれている。この夏は避暑も兼ねて伊豆半島の小さな港町に滞在し、執筆を続けていた。
それは満月に近い月が白く澄んで輝く、深夜の砂浜での出来事だった。煮詰まった頭を冷まそうと人気のない海辺を歩いていると、どこからか繊細なキーボードの旋律が聴こえてきた。これはタブラ・ラサの76年作『Ekkedien Tanssi』(Love/arcangelo)じゃないか。〈月の優美な罠と舞踏〉なる邦題が確かに似合う、北欧プログレの逸品だ。
音のするほうに目を凝らすと、青い月光の下に女が佇んでいた。どこかタブラ・ラサのジャケにも似た、髪の長い美しい女である。その妖精めいた姿にしばし見惚れていると、いつの間にか音楽はケイト・ブッシュの86年作『Hounds Of Love』(EMI/EMI Music Japan)へと移ろっていた。優れたポップスでありながら特有の蟲惑的な歌声と風変わりなサウンドも堪能できる傑作である。「貝殻で音楽を聴いているんですよ」──ケイトの声とシンクロするように、不意に女は私に話しかけてきた。いったいどういう意味だ? 魅入られるように近付いた私に、女は微笑しながらふたつの桃色の巻貝を手渡した。
耳を当てると、波の音に混じって優しくメロウな音楽が聴こえてきた。女声と聴き違えるほどの官能的なファルセットが忘れ難いAORシンガー、ロバート・ジョンの80年作『Back On The Street』(EMI/celeste)じゃないか。これは実に良い作品だが、そんなことより不思議である。新手の携帯プレイヤーなのだろうか? 夜風に髪をなびかせながら女が囁いた──。「心の内に鳴っている音楽を奏でる貝殻なのよ、試しにそっと振ってみて」。
言われるままに軽く振ると、急にファグスの65年作『The Fugs First Album』(ESP/Folkways/HAYABUSA LANDINGS)に変わった。アシッドなビートニク詩人による楽しくだらしないフリーク・サウンドが満載の伝説的な怪盤だが、これが私の心の内だとすると……嬉しくはない。
貝殻を女に戻すと、彼女は妖艶な笑みを浮かべながらそれを振った。流れてきたのはスペインのシンフォニック・ロック史に残る名盤、ゴティックの78年作『Escenes』(Fonomusic/Discmedi/arcangelo)である。優美でジャジーなメロディーが波間に揺れて響く。幽玄なフルートとエレピの響きが美しく、私は陶然としていた……。気付くと辺りには朱色の靄のようなものが立ち込め、私はひとりだった。女がいた場所にきらりと光るものがある。拾い上げると、それは月光を浴びて輝くふたつの小さな貝殻であった。