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第59回――リヴァート・ファミリー

マーク・ゴードンが明かすリヴァート初作の舞台裏、そしてリヴァートの未来

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2012/07/18   00:00
更新
2012/07/18   00:00
ソース
bounce 346号(2012年7月25日発行)
テキスト
文/林 剛


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80年代後半から90年代のR&Bシーンにおいて絶対的な存在として君臨したリヴァート。エディ・リヴァートの息子ジェラルドとショーンの兄弟、および親友のマーク・ゴードンが84年にオハイオ州クリーヴランドで結成したこの3人組は、エディ率いるオージェイズのソウルを継承しながら、R&Bとヒップホップを繋いで新たな地平を切り拓いた革新的なヴォーカル・グループだった。

「俺とジェラルドは同じ志を持っていた。それでバンドを結成して小さなバーやクラブでライヴを続けて……リヴァートの始まりさ。曲を書いてはエディたちにアイデアを見せて、それをみんなで膨らませていったんだ」。

そうして地元で録っていた音源が、エディを通してフィラデルフィア・インターナショナルの元スタッフ、ハリーJ・コームズの元に渡る。ハリーはフィリーで設立したばかりの自主レーベル=テンプリーに彼らを招き、デビュー曲“I'm Still”をリリースさせた。18歳とは思えぬジェラルドのディープで貫禄たっぷりの声が響き渡るそのスロウ・バラードはR&Bチャート70位を記録。「初めてラジオから流れてきた時はホント興奮したよ! 俺たちのキャリアはこのヒットなしではありえないからな」とマークは当時を振り返る。そうして同曲を含むファースト・アルバム『I Get Hot』(85年)が誕生したのだ。

フィリーでのレコーディングはハリーの人脈が活かされ、元MFSBのノーマン・ハリスやブレイクウォーターのケイ・ウィリアムズJrらも演奏で参加。表題曲ではデクスター・ワンセル&シンシア・ビッグスがペンをとった。実はマーク自身は、演奏に関与せず作曲に専念していたようで、「フレッシュなサウンドに仕上げようと思った」と話す“I Want Too”のように爽やかでメロウなミディアムなどを書いている。彼がジェラルドと共作した“Melt”や“Jam”はいかにも80年代中期らしいビート・チューンだが、これらについては「キャミオだね。俺のいちばんのお気に入りで、最初に行ったコンサートも彼らだった。パワフルでエナジーがあって圧倒されたね」と、その影響源を明かした。メジャーのアトランティックと契約後も“Casanova”でゴーゴーに接近したり、“Rope A Dope Style”でMCハマーを気取ったりした彼らには当初からファンク/ダンス気質があったのだ。

アトランティックでは、“(Pop,Pop,Pop,Pop)Goes My Mind”“Baby I'm Ready”“ABC-123”といったスロウの名曲も生みながら6枚のアルバムを発表。だが、97年の『The Whole Scenario』を最後に解散となり、ジェラルドはソロ、マークは裏方活動に専念していく。それでも2004年には再結成アルバムを作るべく曲を録りはじめ、そのうち“I Like It”がジェラルド名義の編集盤『Voice』に収録された。が、やがてジェラルドが他界。代わりにアフターマスにいたフーズ・フーのブラック・ローズを招き入れ、リヴァートIIとして再始動する。そんな矢先に今度はショーンが他界し、結局リヴァートIIはブラック・ローズとマークのデュオとしてアルバム『Dedication』を出す。

「ジェラルドはいないが、俺のなかにオリジナル・リヴァートが大きく残っているからコンセプトは変わらないよ。いまはふたりでやってるけど、もう一人メンバーを増やす予定だ。タイトル曲はショーンと俺でジェラルドに捧げた。その後ショーンが亡くなってから録ったのが“My Brotha”で、これにはショーンの息子が参加している。レコーディングではみんな涙がこぼれて辛かったよ……」。

苦難を乗り越え、リヴァートはいま新たな歴史を歩みはじめたばかりだ。

 

▼このたび世界初CD化されたリヴァートの85年作『I Get Hot』(Tempre/ヴィヴィド)

 

▼フーズ・フーの音源を含む96年のコンピ『Dr. Dre Presents The Aftermath』(Aftermath/Interscope)