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第40回――桑名正博

連載
その時 歴史は動いた
公開
2012/11/21   00:00
ソース
bounce 350号(2012年11月25日発行)
テキスト
文・ディスクガイド/久保田泰平


桑名正博_A

〈If you want my body and you think I'm sexy〉——ブロンドヘアのスーパースターが歌うヒットソングが海を渡って流行していた79年。その年の秋に、ロックとも歌謡曲ともニューミュージックともつかない、セクシャルで鮮烈なナンバーがCMからお茶の間に届けられました。歌っていたのは、桑名正博。スラリとした容姿にカーリーヘア、〈I'm sexy?〉とでも言っているかのような立ち居振る舞いで彼が歌うその曲—— セクシャルバイオレットNo.1 がヒットチャートを駆け上がっていった〈その時〉、シャイでヤンチャな浪速のボンボンに眩いばかりのスポットライトが当てられ、彼はしばしのスーパースターになったのです。

53年、廻船問屋の跡取りとして大阪で生まれた彼は、中学時代に引きこもりになるなど人一倍繊細だった思春期を経て、18歳の時にファニー・カンパニーなるバンドを結成しました。ブルースを基調としたロックンロール・バンドで、72年にシングル スウィートホーム大阪 でレコード・デビュー。〈東のキャロル、西のファニカン〉と呼ばれるなどロック・ファンの間では注目されましたが、桑名の根っからのマイペース気質もあってか、商業的な成功を収めるまでには至らず解散してしまいました。76年にアルバム『Who are you?』でソロ・デビューした彼は、翌77年に松本隆と筒美京平のコンビによるシングル 哀愁トゥナイト を発表。しかし、その矢先に薬物使用容疑で逮捕され、みずから音楽活動に急ブレーキをかけてしまいます。その後78年から活動を再開させた彼は、同じく松本・筒美コンビによるバックアップでシングルを重ねていくことに。79年夏にリリースした セクシャルバイオレットNo.1 がじわじわとチャートを昇り続け、10月8日付のオリコン・チャートで見事No.1を獲得したのです(その後3週に渡って首位をキープ)。彼の魅力は、やんわりとハスキーな歌声と嫌味じゃない色っぽさ、そしてノリ。それは当代きってのセクシー・アイコンであった沢田研二にも匹敵するほどのものでした。

その後、ヒットらしいヒットには恵まれず、81年にはふたたび不祥事を起こして音楽活動を休止。しかし、荒っぽい言動や破天荒なイメージとは裏腹に、実は温厚で気さくな青年だった彼は、後に俳優やタレントの世界でも開花します。レギュラー番組の多かった地元関西を中心に、そのキャラクターは幅広い年齢層から親しまれました。近年は、芳野藤丸らと共に90年代後半からしばらく活動していたTHE TRIPLE Xを再開させるなど音楽活動にも熱心でしたが……。

今年7月に脳幹出血で倒れ、10月26日に死去。享年59歳。閉じるには早すぎた生涯でした。

 

桑名正博とその時々



桑名正博 『ゴールデン☆ベスト 桑名正博 -MASAYAN 40Years-』 ソニー

結果的に追悼盤となってしまったキャリア40周年記念の2枚組ベスト盤。“セクシャルバイオレットNo.1”をはじめとする一連の松本・筒美コンビの楽曲はもちろん、ファニー・カンパニーでのデビュー曲“スウィートホーム大阪”、同世代の大阪人の間ではスタンダードになっている“月のあかり”など、彼の色っぽくて人懐っこい歌声が沁みる。

 

ファニー・カンパニー 『ファニー・カンパニー』 SHOWBOAT(1973)

泥臭いブルース・フィーリングを忍ばせてはいるものの、このバンド特有のグルーヴ感を支配していたのはまぎれもなく桑名のヴォーカルだ。シャウトやフェイクのセンスにはトップスターとなるその後の片鱗がしっかりと見えるし、当時から色っぽい。

 

キャロル 『ザ★ベスト』 ユニバーサル

ファニー・カンパニーのドライヴィンなロックンロール・サウンドをキャッチし、〈東のキャロル、西のファニカン〉と仕掛けたのは内田裕也だ。両バンドは共演歴もあり、その際にはひと悶着もあったとか。人気はキャロルが上だったが、歌い手としてのフィーリングはYAZAWAもKUWANAも同格。

 

桑名晴子 『ミリオン・スターズ』 フィリップス/Tower To The People(1978)

血は争えぬはすっぱな色香をその歌声から放つ妹・晴子。マッキー・フェアリーとビル・ペインが制作に携わり、ホノルルとLAで録音されたこの初作には、オレンジ色の夕暮れ時に映える“あこがれのSUN DOWN”といったとろけるような一曲が。