ライター・岡村詩野が、時代を経てジワジワとその影響を根付かせていった(いくであろう)女性アーティストにフォーカスした連載! ライター・岡村詩野が、時代を経てジワジワとその影響を根付かせていった(いくであろう)女性アーティストにフォーカスした連載! 第8回は関西の老舗レーベルであるアルケミーが誇るガールズ・パンク・バンド、赤痢をご紹介
bounceでは、ほぼ毎号何らかの記事を書かせていただいていますが、最新号(351号)の〈その時歴史は動いた〉という連載ページで非常階段の原稿を執筆し、JOJO広重さんの四方八方に枝葉が伸びる蔦の如き活動に改めて舌を巻きました。説明するまでもなく、彼はノイズ・ユニットであるその非常階段を率いているわけですが、またある人からすれば、野太くヒューマンな歌を聴かせるシンガーであり、穂高亜希子や見汐麻衣らを手掛けたプロデューサーであり(彼女たちを含む女性シンガーを集めた広重氏監修のオムニバス・アルバム『日曜日のうた』が素晴らしい!)、あるいは断易の鑑定士(東京と大阪、京都などで定期的に鑑定を行なっています)であり、またある人にはスポーツ・カード店のオーナー(明大前駅でショップを経営されていました)……なのかもしれません。
さらに、彼はアルケミーというインディー・レーベルの主宰者でもあります。アルケミーは84年に設立。それこそ時代を地下世界からジリジリと動かす作品を多く発表してきました。現在、残念ながら新作のリリースはお休みしていますが、この理由について先日筆者がやっているラジオ番組に広重さんに出ていただいた際、このように話してくださいました。
「いまはCD作品のリリースにこだわる時代でもない。ライヴも含めた違う形で伝えていくことがいくらでもできる。ただ、アルケミーがなくなったわけではないし、レーベルの意志はいまもちゃんと僕の活動のなかにあります。またすぐリリースするかもしれませんからね」。
そんな伝説のアルケミーの音源は、昨今、さまざまなスタイルでリイシューされ、当時を知らない者に強く訴えかけています。〈FREEDOMMUNE〉への出演や〈PROJECT FUKUSHIMA〉に関与したり、BiSや初音ミクとの共演などを通じて非常階段に興味を持ったような人には、未CD化のカセットからの音源が追加された非常階段『蔵六の奇病』の30周年記念盤にはさぞかし度肝を抜かれたことでしょう。さらに、できればガール・ポップ好きとしてはスラップ・ハッピー・ハンフリーのリイシューも……と願っているなか、こんなアイテムがリリースされることとなりました。そう、アルケミーを代表する女性バンドであり、日本を代表する異形のガールズ・パンク・バンドである赤痢のボックス・セット、その名も『赤痢匣』の登場です!
赤痢は83年、京都でヴォーカルのミユを中心に結成。最初のEPはコンチネンタル・キッズやウルトラビデのメンバーらが中心になって設立されたBEAT CRAZYからのリリースでしたが(一昨年にリイシューされたコンピ『WE ARE BEAT CRAZY 2011』にも赤痢の音源が収録されています)、以降はアルケミーから作品を出し続け、主に90年代いっぱいまでは断続的に活動を続けてきました。特に破壊衝動をユーモラスかつキュートに捉えた初期の『私を赤痢に連れてって』、バンドとしての成熟と楽曲指向がフォーカスされた『Three』などはガールズ・パンク・バンドの枠を超えて音楽史に名を刻む名盤です。ソニック・ユースのサーストン・ムーアが初来日時に赤痢のファンであることを公言するなど海外アーティストのシンパも多く、カリスマ的な人気を博したバンドですが、曲そのものははとてもメロディアスで不思議な人懐っこさがあり、個人的には〈関西パンク版ロネッツ〉といったふうに聴いていた思い出があります。
筆者は当時京都で彼女たちのライヴを観たことがあり、そのステージはかなりアグレッシヴで挑発的ではありました。それでも時折垣間見せる愛らしさは、その後のあふりらんぽやミドリなどにも通じるものがあったと思っています。そんな赤痢のボックス・セットにはオリジナル・アルバム7枚が紙ジャケット仕様で収められているほか、BEAT CRAZYからのファーストEPも収録された、若いリスナーにこそ手にしてほしい決定版。全曲歌詞付きで、ボーナス・ディスクとして87年のライヴ音源(未発表)、またDVD-Rで通販のみだったライヴ映像『SEKIRI LIVE '88 at 名古屋芸音劇場』が復刻されていたりと盛りだくさんの内容です。JOJO広重がこのバンドをどれほど愛してきたかがわかる、そんな歴史的なリイシューと言ってもいいでしょう。
赤痢は現在ほとんど活動をしていませんが、確か解散はしていないはず。そろそろ新曲などを発表……してくれないかなあ、もちろんアルケミーから。