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JAZZ WEEK TOKYO 2013

公開
2013/03/05   19:56
ソース
intoxicate vol.102(2013年2月20日発行号)
テキスト
文/湯山玲子

八代亜紀

現在のジャズのあり方を見ていると、ふたつの方向が見えてくる。

ひとつは、そのインプロビゼーションの一期一会の組み合わせで、その時、その場でしか生まれない奇跡のような「試合」を見届ける方向。試合と書いたが、各プレイヤーはまるでアスリートのようにおのれの感性と技術を磨いて演奏の場に臨むのだ。問題があるとすれば、かつてはいろんな可能性と未開の表現に満ちていたそれも、大方が「お手つき」になっているので、その結果、インプロの型(ああ、何という矛盾)のもと、クラシックのようにどんどん伝統芸能化、微妙な差違を愛でるマニア化してしまっているという点。

もうひとつは、ジャズをその試合のメインイヴェント(ザッツ・ジャズなので今でも本流)から解き放ち、ジャズがポップミュージックとして持っていた歴史と雑食性に注目し、独自の表現の道を模索する方向。ジャズフェスというと、前者の強者達が中心となるのだが、今回の『JAZZ WEEK TOKYO 2013』は後者のフェス。

ジャズの紋切り型イメージが排除してきた、官能性、今どきのストリート感、大いなる編集感覚に満ちたラインナップは、この音楽配信&YouTube時代に異様に耳グルメになっている音楽ファンをして、「今、ジャズっていうなら、コレだよね!」というラインナップが光る、実にナイスセンスな内容となった。

まずは、この間の紅白での由紀さおりとの共演が話題になった、ピンク・マルティーニ。その中継は、彼らの本拠地ボートランドの、もの凄く味のあるホテル(ラウンジファンたちは膝を叩いて喜んだはず !!)から行われていたが、このグループの凄いところは、多くの国に散って、大衆の生活の中に「一時のロマンチックな時間」を与え続けていた歌手付きビッグバンドという歴史的存在を現代に蘇らせたところ。歌謡曲という極東アジアの大衆ボップスにいかにジャズがそのDNAを残していたか。その見事な結晶を堪能してみたい。

昨年、ジャズのスタンダードナンバーを歌ったアルバムを小西康陽のブロデュースでリリースし話題になった八代亜紀と、今まで様々な形で日本の伝統音楽のエッセンスをジャズに喚び生けてきた日野皓正との顔合わせも、注目のプログラムだ。その出自において演歌歌手は非常にジャズと相性がよく、美空ひばりをはじめ多くの演歌歌手がジャズを歌って、素晴らしい演奏を残しているが、八代の場合は何と言ってもそのオンリーワンなハスキーヴォイス、そして、少女期に父親のレコード棚にあったジャズに親しんできたというセンスと、演歌の世界で彼女が磨き上げてきた哀調と洒脱が素晴らしいのだ。 

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