ベン・アフレック
1970年代から洋画を勉強し始めた世代のバイブル的な映画書籍の1冊に、みすず書房から発売になった『映画のタイクーン』がある。そこには昨年100周年を迎えたユニバーサルのカール・レムリ、パラマウントのアドルフ・ズーカー、そしてMGMのルイス・B・メイヤーなどと共にワーナーの、ハリー、サム、アルバート、ジャック・Lの4兄弟が、ハリウッド映画界のタイクーンとして紹介されていて、まずはこの本で、その人物たちの名前を覚えるのが、アメリカ映画史への入門の第1歩だった。そう、アメリカ映画の歴史とは、それぞれのスタジオの歴史と言い換えることも出来るのである。各スタジオはそれぞれに得意なジャンルの映画を製作することで差別化を計り、大きくなっていったのである。パラマウントは洗練されたコメディ、ユニバーサルはホラー&モンスター、MGMはミュージカル、そしてワーナーはギャング映画(代表的なスターはジェームズ・キャグニー、ハンフリー・ボガート)である。そのワーナー・ブラザースが、今年2013年で創立90周年を迎えることとなった。では、ワーナーとはいかなるスタジオなのか? を少しだけ。
ワーナー90年の歴史を振り返ると、いかにこのスタジオがアメリカ映画だけでなく、世界の映画史を変えてきた、新しいことにチャレンジする勇気を持っているスタジオであるかが分かってくる。まずはトーキー第1作の『ジャズシンガー』の製作だ。結果論ではあるが、この製作にチャレンジしなかったらワーナーの社史は変わっていたであろう。それほどに、1927年のニューヨークでのプレミア上映直後から、ハリウッドにもたらされたこの映画の衝撃は大きく、MGMミュージカルの名作『雨に唄えば』でも描かれているように、それまでの映画の製作方法や、役者の演技を変えてしまったのだった。サイレント時代の2枚目男優ジョン・ギルバートは、それまでスクリーンからイメージされた声とのギャップに観客からソッポを向かれ、そこでキャリアを終えてしまったほどだ(アル中の果てに心臓発作で死亡)。
もうひとつの歴史を変えたワーナー作品は1967年の『俺たちに明日はない』だ。言わずと知れたアメリカン・ニューシネマの記念すべき第1作目で、従来のハリウッド映画にはなかったリアルな登場人物を主人公にした、多くのニューシネマの先駆者的存在である。こうした革新的作品の成功の要因とは、やはりワーナー・ブラザースという会社が他のスタジオ以上に、その時代の大衆が何を求めているかを敏感に感じ取って来たからではないだろうか。そのDNAの継承は『マトリックス』や『ハリー・ポッター』の成功が証明しているとも言えるのである。実はニューシネマの登場の裏には、〈スタジオシステムの崩壊〉という皮肉な関係もある。そう『俺たちに~』はワーナー配給ではあるが、製作したのは主演俳優でもあるウォーレン・ベイティなのだ。こうした独立した製作陣と配給を行う映画会社という立ち位置が確立されたが故に、その後のワーナーの屋台骨を支えるクリント・イーストウッドのマルパソ・カンパニーとのコンビが成立したと考えるのも映画史の見方としては、有りでしょう。