ソングライターとしての実績をきっかけにシンガー・デビューする才能は後を絶たないが、40年前にその先鞭をつけていたペン&パッドの名手こそがサム・ディーズだ。今回は彼の記念すべき初CD化作品に合わせて、その名裏方ぶりを紹介します!
ソングライター/プロデューサーとして数々の名曲を生み出し、同時にシンガーとしての傑作も残している自作自演派はいつの時代にもいる。この10年間だと、ニーヨを筆頭に、〈ザ・ペン〉なる称号をジェイ・Zから授けられたショーン・ギャレット、作詞家から歌手業にも乗り出したゴードン・チェンバース、そしてラティーフやオーガストといった現行アーバンのメロディーメイカーたちの名が思い浮かぶ。では、70〜80年代のソウル・シーンなら?と問われれば、迷わずこの名前を挙げたい。サム・ディーズ。誰もが知る存在ではないだろうし、誰もが知る大ヒットも少ない。派手さもなければキャッチーというわけでもないが、しかし、グッと胸を掴む、心を揺さぶるようなメロディーラインを書き、歌詞の面でもセクシャルな内容を上品で洗練されたラヴソングへと昇華させるセンスは天下一品。例えば、故ホイットニー・ヒューストンの『Whitney』(87年)に収録されている“Just The Lonely Talking Again”、この曲の作者がサム・ディーズだ。マンハッタンズも歌っていた美しいバラードだが、特にこうしたスロウにおける奥行きやスケールの大きさは見事というほかない。サザン/ディープ・ソウルのシーンから登場しながらNYやシカゴなどの都会的なソウルとも好相性を示し、80年代のブラック・コンテンポラリー・シーンにも食い込むなど、地域やスタイルを跨いだ適応力や万能性もこの人の凄さだろう。
サム・ディーズは、米南部アラバマ州バーミングハム出身(1945年生まれ)。一時期NYで暮らすも南部に戻った彼は、68〜71年にかけてSSSインターナショナル、ロロ、チェスから南部録音のシングルを出し、ロロから出した辛口のディープ・バラード“It's All Wrong(It's All Right)”などが人気を集めた。同時にクリントン・ムーンと共にクリントーンやムーンソングといったレーベルを立ち上げ、自身のシングルを出しつつ、ソングライターとしてビル・ブランドン、ロゼッタ・ジョンソン、ZZ・ヒル、CL・ブラストらに楽曲を提供。その後、70年代中期からは外部レーベルの仕事も請け負うようになり、ロリータ・ハロウェイ“Cry To Me”やタイロン・デイヴィス“Homewreckers”を書いたことで人気ソングライターの仲間入りを果たす。その2曲がヒットした75年には、自身のファースト・アルバムも発表。それが、このたびついにCD化されたアトランティック原盤の『The Show Must Go On』というわけだ。
そもそもアトランティックではクラレンス・カーターに“Changes”(70年)を提供し、73年には自身の“So Tied Up”も発表していたサムだが、75年当時にはアルバムを出せるほどブランド力が高まっていたのだろう。むろんアルバムは充実した作品集となったが、凄いのは、爆発的に売れたわけでもない同作の収録曲が複数の実力派シンガー/グループに取り上げられたことだ。表題曲や“Worn Out Broken Heart”がロリータ・ハロウェイに、“Good Guys”がウィンディ・シティに、“So Tied Up”がウィリー・クレイトンに歌われた……といった具合に。そして、それら他人のヴァージョンを聴くと、彼らが情熱的にして抑制の効いたサムの唱法をお手本に歌っていることにも気付く。そのことは後にサムの未発表デモを収録した編集盤が出た時にもあきらかになったが、つまり彼は実力派シンガーたちが真似したくなるほどの優れた歌い手でもあったのだ。
77年には活動拠点をLAに移し、ロン・カーシーと組むなどしながら仕事の幅を広げていったサム。タヴァレスに“Games, Games”、バーケイズに“You've Been”といった名曲を提供したのもこの頃で、南部絡みの作品でもビル・ブランドンの“Special Occasion”(ドロシー・ムーアやミリー・ジャクソン版も有名)を書き、以前から不定期でパートナーを組んでいた同郷のフレデリック・ナイトとはアニタ・ワードなどに楽曲を提供した。そうしたなか、サムの名をさらに有名にしたのが、ラリー・グラハムに提供した“One In A Million You”(80年)である。ここでサムは〈大人のバラードを書くソングライター〉として揺るぎない評価を獲得。そんな彼の書くアダルトでロマンティックなムードを80年代の作品における個性のひとつにしたのがアトランティック・スターやグラディス・ナイト&ザ・ピップスで、いま思えば後のクワイエット・ストーム・ブームに繋がるアーバニズムや洗練を先取りしていたのがサムの曲だったとも言える。また、この頃にサムが書いた曲はポップ・チャートでも好順位をマークするようになっていたが、マーケットに媚を売ることなく、あくまでソウルを追求しながら普遍性のある楽曲を生み出していったところがサムの凄さであり、ソウル・ファンに絶対の存在として愛される理由でもあるのだろう。
80年代中期以降は他人への楽曲提供が減るも、シンガーとしての活動は続いていく。なかでも88年の『Secret Admirer』は名盤の誉れ高いアルバムだが、同作を出した自身のレーベル名はペン・パッドという。〈ペン〉こそが自分の武器であると自負していたサム。手に取ったレコードに彼の名前があれば思わず名盤認定したくなる……そんな気にさせてしまうほど、この男の書く曲は目映く愛おしい。
▼関連盤を一部紹介。
左から、クラレンス・カーターの70年作『Patches』(Atlantic)、フレデリック・ナイトの73年作『I've Been Lonely For So Long』(Stax)