5度目のハルサイ、どうなるか!?
ラトルの「ハルサイ」は一体何種類あるのだろうかと調べてみたら実に4種類、今回で何と5種類目であった。
①イギリス・ナショナル・ユース管弦楽団(1977年)
②バーミンガム市交響楽団(1987年)
③ベルリン・フィル(2003年)※映像(映画『ベルリン・フィルの子供たち』
④ベルリン・フィル(2009年)※映像
⑤ベルリン・フィル(2012年)←今回
①から④の演奏について個々に細かく述べないが、個人的には「ラトルならばもっとできるはず!」である。①は若干22歳時、当盤が音盤上のデビューであり、オケはアマチュア、粗削りなのは重々承知の上で言えばこれが一番面白い。②から④については、オケの掌握術と完成度は当然①とは比較にならない進歩が見られ、解釈が考え抜かれていることは分かるし、それが実際に見事に音化されているという意味では名演には違いないのであるが、なんだが「血が騒がない」のである。
…と、そこへ⑤の当盤である。ところで筆者はラトルとベルリン・フィルの来日公演は毎回聴いているのだが、指揮者とオケのシンクロ度、演奏の緻密さと密度が明らかに濃くなったと感じられたのが2008年のブラームスからで、2011年におけるマーラーでも同様だ。正確なだけではない熱さと没入があった(尚、上記④の演奏は2009年だが、野外コンサート、荒天という状況もあるのか、最近の演奏ながら少し物足りない)。この時期的な印象はディスク上でも一致しており、やはりブラームスの交響曲全集(2008年)、ベルリオーズの幻想交響曲(同)といったあたりからがすばらしい。前作の『カルメン』も凄かったね。ようやく探り合いというか遠慮がなくなってすっかり馴染んだに違いない。『春の祭典』に話を戻せば、ラトルの資質とこの作品の相性が悪いとは到底思えず、そのコンビネーションがいよいよ最高潮に達していると思われる今現在の彼らなら、技術的な完璧さを突き抜けた冷静な熱狂を伴った演奏を期待したくなる。比較の例として適当かどうかはともかく、あのジョージ・セルのような。