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第67回――サルソウルのソウル

サルソウル

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2013/06/12   00:00
更新
2013/06/12   00:00
ソース
bounce 355号(2013年5月25日発行)
テキスト
文/林 剛


ラテン音楽の側面も持つサルソウル。だが、主軸となったのは、やはり〈ソウル〉な楽曲群だろう。当時全盛を誇っていたフィリー・ソウルを採り入れるどころか、その流麗なサウンドを奏でていた張本人、つまりMFSBの構成メンバーたちを丸ごと抱え込んで躍進したのがサルソウルだった。



VinceMontana_A



演奏者たちに与えられた名前はサルソウル・オーケストラ。それを仕切ったのは、去る4月に85歳で亡くなったヴィブラフォン奏者のヴィンセント・モンタナだ。リズム隊の要は、サルソウルから連名でアルバムを出すことになるロニー・ベイカー(ベース)、ノーマン・ハリス(ギター)、アール・ヤング(ドラムス)、いわゆるB-H-Yの3人で、モンタナも含めてMFSBにいた彼らは楽曲のアレンジやプロデュースにも積極的に顔を出し、若き日のラリー・ゴールド(チェロ)を含むストリングス隊やラリー・ワシントン(パーカッション)らとともにハウスの原型となる激しくダンサブルなサウンドを作り上げる。その功績は、ロリータ・ハロウェイなどのソウル・シンガーのみならず、チャロのような非黒人のシンガーまでをも〈ソウル〉側に引き寄せ、人種の壁を取り払った点にあると言ってもいいかもしれない。

ソングライターを含めた裏方では、アラン・フェルダーやT.G.コンウェイ、またラヴ・コミッティのメンバーで後にテンプテーションズに加入するロン・タイソンらも常連だった。彼らは同時にアトランティックのフィリー録音盤などにも関わっていたが、娘のデニースを起用したグッディー・グッディーというディスコ・ユニットまで立ち上げたモンタナは、サルソウル閉鎖後もフィリー・サウンド・ワークスからガラージ・ヒットを出し、90年代にはマスターズ・アット・ワークのニューヨリカン・ソウルでもサルソウル・オーケストラ“Runaway”のリメイクで煌びやかで弾むようなヴァイブを披露するなど、最期までサルソウルのスピリットを貫いた名手として記憶されよう。



TomMoulton_A



また、それらの演奏者と並んで、楽曲をダンス・フロア映えするようにエディット/リミックスした(リ)ミキサーたちの存在も忘れ難い。初の商用12インチであるダブル・エクスポージャー“Ten Percent”を手掛けたウォルター・ギボンズ、そして、シルヴェッティ“Spring Rain”などのリミックスで知られ、サルソウル傘下にトム・ン・ジェリーを設立したトム・モウルトンのことだ。特にモウルトンはミュンヘン・ディスコの裏方と組んでメトロポリスなどのユニットを立ち上げ、サルソウルのインターナショナル化にも貢献。この流れでモウルトンはトム・ン・ジェリーを(ドナ・サマーが所属した)カサブランカ傘下に置き、自己プロジェクトのTJM、ルース・チェンジの作品でプロデューサーとしても腕を揮うことになる。

ラリー・レヴァンがリミキサーとして関わりはじめた頃には、スカイを手掛けたランディ・ミューラーやオーラを立ち上げた元スレイヴのスティーヴ・ワシントン、ログやインナー・ライフで腕を揮ったリロイ・バージェスやグレッグ・カーマイケルがサルソウルのソウル・サイドを牽引。ファンク寄りのヘヴィーなサウンドが主流となっていくが、それらのベースになっていたのはモンタナやB-H-Yのフィリー・サウンドなのだ——そんなこともサルソウルの名作群は改めて教えてくれるのだった。



▼ヴィンセント・モンタナの参加作を一部紹介。
左から、ニューヨリカン・ソウルの96年作『Nuyorican Soul』(Talkin' Loud)、ペット・ショップ・ボーイズの99年作『Nightlife』(Parlophone)

 

▼関連盤を紹介。
左から、MFSBの73年作『MFSB』(Philadelphia International)、ウォルター・ギボンズのリミックス集『Jungle Music』(Strut)、トム・モウルトンのリミックス集『A Tom Moulton Mix』(Soul Jazz)、TJMの79年作『TJM』(Casablanca/BBR)ラリー・レヴァンの編集盤『Larry Levan's Paradise Garage』(Salsoul)、リロイ・バージェスの編集盤『Throwback: Harlem 79-83』(Soul Brother)