USで盛り上がるメキシコの伝統音楽、ソン・ハローチョ
続いて、メキシコ東部メキシコ湾沿いに位置するベラクルス州発祥の伝統音楽、ソン・ハローチョの話題。メキシコにはさまざまな伝統音楽がありますが、ユネスコの世界無形文化遺産に指定されているマリアッチ(19世紀前半~)よりも、ソン・ハローチョ(18世紀後半~)のほうが実は歴史が長く、300年以上も続いているのです。
これはスペイン侵略後にアフリカからキューバなどのカリブ経由でメキシコに連れてこられた移民たちや、先住民たちが荘園での労働の合間に息抜きのために奏で、ブルースのように不条理な世に対する抵抗歌が起源とされているもの。ヨーロッパ伝来の楽器や、旋律とアフロ・カリブのリズム、先住民言語を織り交ぜた歌詞や唱法によって演奏される音楽です。ハラーナやレキントという木製の小型ギターのような複数の弦楽器を中心に、タリマという木の台を踊りながら踏み鳴らしてパーカッションの役割を果たすサパテアードや、馬やロバの顎の骨をパーカッションにしたキハーダという楽器が入り、即興を交えた独特な歌が加わります。
ソン・ハローチョでもっとも重要なのが、歌と演奏と踊りのジャム・セッション=ファンダンゴ。楽器を持ち寄って演奏したり、歌や踊りで誰でもその祝宴の輪に参加できます。そのファンダンゴがいまアメリカ合衆国各地で盛り上がっているとか。
ベラクルス州トラコタルパンでは、毎年2月2日にカンデラリアの聖母への奉納として
大規模なソン・ハローチョ祭が開催され、街の至る所でファンダンゴが開催される
ロサンゼルスを含むカリフォルニア州各地はもちろん、NYやシカゴなどメキシコ系移民の多い場所に、ソン・ハローチョを演奏してファンダンゴを楽しむコミュニティーが続々と誕生しているのです。
〈Fandango Fronterizo〉――サンディエゴとメキシコ北部・ティファナの国境のフェンス越しに
ファンダンゴをするイヴェントも5年目を迎えた
そんなアメリカ合衆国のハローチョ・ムーヴメントを牽引する一人が、ベラクルス港出身、LA在住のセサル・カストロ。彼はハロチェロというプロジェクトでソン・ハローチョの楽器演奏方法や、新旧のアーティスト紹介を行っています。
ハロチェロのセサル・カストロ。ソン・ハローチョの楽器職人でもある (C)Jarochelo
また、 Radio Jarochelo(ラディオ・ハロチェロ)というネット・ラジオ番組ではその魅力を毎週伝えていて、放送を世界各地の演奏家や愛好家が楽しみにしているのです
ハロチェロではハラーナのコード奏法も紹介している
セサルは、メキシコのソン・ハローチョを代表し、来日経験もあるグループ、グルーポ・モノブランコに10年間在籍後、2013年にアルバム『Imaginaries』がグラミーのラテン・オルタナティヴ部門で受賞したチカーノ(メキシコ系アメリカ人)・ロックのグループ=ケッツァルのメンバーとして活躍しました。彼の演奏はそのケッツァルのアルバム『Die Cowboy Die』で聴くことができます。
ケッツァル“Planta De Los Pies”のMVでハラーナを演奏しているのがセサル。
ここにはソン・ハローチョの虜になったザック・デラ・ロッチャもカメオ出演している
その後、セサルは自身のプロジェクトであるソカロ・ズーを結成し、ソン・ハローチョと南米音楽の融合を試みたアルバム〈ムンド・ハローチョ ~新しいハローチョの世界〉(2008年)をリリースしました。その作品から5年経った現在は、彼の妻=ソチ・フローレス、ケッツァルのベーシストであるフアン・ペレス、昔からの音楽仲間であるチューイ・サンドバルと共に、カンバラーチェというグループを結成し、活動中です。2013年12月に彼らのファースト・アルバム『Una Historia De Fandango』が日本でリリースされたばかり。ファンダンゴの祝祭感に溢れた瑞々しい演奏には、アメリカ合衆国に移住し、故郷を思いながら生きる人々のメッセージが込められています。
また、この作品はケッツァルのメンバーはもちろん、ロス・ロボスのルイ・ペレスや、LAパンクの伝説的な人物であるアリス・バッグと、LA音楽シーンからさまざまなゲストを迎えています。
カンバラーチェの4人。(右から)ソチ、フアン、セサル、チューイ (C)Angélica Macklin
カンバラーチェが出演した〈サンフランシスコ・ソン・ハローチョ・フェスティヴァル〉の模様
そんなセサルが、モノ・ブランコの結成36周年記念コンサートへゲスト出演するため、2013年11月末にたまたまメキシコシティを訪れていました。そこで、なぜアメリカ合衆国でソン・ハローチョが盛り上がり、定着したのか、話を訊きました。
メキシコシティのテアトロ・デ・ラ・シウダーで行われたモノ・ブランコの
結成36周年記念コンサート。結成時からの歴代メンバーが出演し、そのなかにはセサルの姿も
「まだ僕がベラクルスに住んでいた2002年に、チカーノの知識人/アーティスト/活動家を含めた大勢のグループがサパティスタ民族解放軍(*)の支援と視察のためにメキシコを訪れ、そのときにソン・ハローチョの発祥地である州都ハラパを訪れた。農村部の過疎化が進み、人々が都市部へ移住したため、農村の暮らしに欠かせなかった祝宴・ファンダンゴは一時的にその伝統が失われていた。だから僕の両親はファンダンゴを知らずに育ってきた。でもモノ・ブランコを中心に、90年代にソン・ハローチョ復興のムーヴメントが起こり、僕も教えを受けたんだ。そのルーツ回帰の運動と理不尽な社会への抵抗の姿勢には、サパティスタの精神と共通するところがあった。
ソン・ハローチョはLAのチカーノの間で60年代には存在していたと思う(リッチー・バレンス“La Bamba”のオリジナルはソン・ハローチョの伝承曲で、1958年に大ヒットした)けれど、ファンダンゴの習慣はなかった。僕たちはLAでファンダンゴの楽しさを伝えたいんだ。それは、祝宴に加わる仲間を増やしていくということ。この祝宴は他のメキシコの音楽とは異なったもので、酔っ払うためだけに集うのではなく、もっとルーツを重んじていて意識も高い。それが移民であるチカーノたちに共鳴したのだろう。そこから広がっていき、いまでは多くの演奏家が世界各地にいて、ソン・ハローチョが廃れていたメキシコ国内でもすっかり復興し、定着した。僕らは繋がり、出会い、同じ音楽を楽しんでいっしょに演奏しているわけだ」
*メキシコ南部のチアパス州を拠点に、北米自由貿易協定反対を機に立ち上がった組織。現在ではチアパスだけでなく、メキシコ各地に散らばる自治区を拠点に先住民や女性の権利を訴え、反グローバリズムのために闘い続けている
歌い、踊り、奏でるファンダンゴは暮らしの一部であり、人生の一部。そして人々と喜びを共有するもの。そんな心の豊かさを、どんなときも決して忘れてはいけませんね。