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カテゴリ : 高見 

掲載: 2008年04月09日 20:01

更新: 2008年04月09日 20:01

文/  intoxicate

Teo Maceroが死んだ。残念ながら、会えなかった。チャンスはあった。彼の晩年の弟子、Kip Hanrahanを通じて、映画"Moduation"の取材を理由に、などなど。彼の最晩年、9.11前のことだった。彼はフランスのバンドを、NYのソーサラーというスタジオでプロデュースしていた。そのときも、アシスタントでついたエンジアのDick Kondaから紹介しようかといわれたが、会わなかった。昨年の7月には、エスクワイア関連の取材でお手伝いするついでに会えるというような話もあった。ただ、僕が尊敬するプロデューサーと言えば、ジョージ・アヴァキアンである。ジョージは、テオを見いだしたコロムビアの名プロデューサーだった。テオは、スタジオを楽器のように使ったプロデューサーだったが、ジョージは、どちらかといえば、キャスティングや企画でアルバムをつくってきたオーソドックスなプロデューサーだった。ジョージは、ジョン・ケージのタウンホールでのコンサートアルバムをプロデュースし、キース・ジャレットのアトラッティックのアルバムをプロデュースした。チャールズ・ロイドのマネージャーもしていたようだ。それにテオが手がける以前のマイルスものを、ジョージが担当していた。ギル=マイルスはその最良のプロダクションだった。ジョージは、コロムビアにテオを誘い、テオは、デイブ・ブルーベック、セロニアス・モンクなどなどを手がけ始める。

Teoの面白い話は、Kipからたくさん聞いた。1.実はとてつもないバジェットカッターだった。2.ジャズ・アコーディオンという分野を開拓したひとり。3.癇癪持ち。4.マイルス時代のエフェクトの類いのほとんどは、Teoのアイデアでオリジナルに製作されたものだった。5.E.ヴァレーズの"poem electrique"の電子音楽の製作アシスタントだった。

1は、たとえば、C.イーストウッドが製作したセロニアス・モンクのドキュメンタリーでも明らかだ。CBSのスタジオでのモンクのカルテット収録時のシーンを思い出していただきたい。徹底してリハーサル中にテープを廻さないTeoにモンクが激怒している。2.ジェームス・ムーニーのような弾き語りするアーティストもいたようだが、バップスタイルの演奏家となると、もしかしたらそうなのかもしれない。オリジナルは、廃盤だが、その片鱗がKipの編集したアルバム"Teo"で聞ける。3.これは、まあ、アシスタントなら、みな一度は怒鳴られるということなんじゃないだろうか。4,5この二つについては、映画『Modulation』の監督のインタビューで明らかになりました!実に思いしろいです。今は廃盤なのかもしれませんが、Vareseの"Poem Electrique"が収録されたASKO Ensemble(Attaca盤)でこのオリジナルが聞けます。いやあー、良い仕事。

もう昔話だけれど、ラウンジ・リザーズのファーストアルバムのプロデュースもテオ・マセロだった。テオにジョン・ルーリー、アート・リンゼーを紹介したのはKipだった。そのレコーディングのとき、アートと、ピーター・シェラーのアンビシャウス・ラヴァーというバンド名が生まれたというのも印象的な話だが、テオがスタジオで怒鳴っていた後ろで、そんなことが起きていたというのは、まあ面白い。