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カテゴリ : JAZZ IT UP! CAMPAIGN 

掲載: 2009年10月19日 00:00

更新: 2009年10月19日 00:00

文/  intoxicate

MICHAEL JACKSON + DIG UP THE PIECES "Quincy Jones"
〜大いにリスペクトしたい、マイケルとクインシーのコラボレーション!



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 2009年6月25日、ありえないニュースが流れた。〈マイケル・ジャクソン死去〉。しかし、それが現実だと分かった時、〈最後〉のマイケル・ブームが世の中を席巻しはじめた。誰もがまずその想いを過去へ向けた。最初に知ったマイケル・ジャクソンの曲は何だったか。《スリラー》《今夜はビート・イット》《ビリー・ジーン》。おそらく集中するのは79年のアルバム『オフ・ザ・ウォール』から82年の『スリラー』、そして87年の『バッド』あたりの曲なのではないだろうか。この3枚のヒット・アルバムのプロデュースをつとめたのがクインシー・ジョーンズだったのは有名な話。マイケルの世界的なポップ・スター性の開花とアルバム自体のモンスター級のヒットはクインシーのサウンド・マジック無くしては実現できなかったと思う。もともとジャズのアレンジャーとして頭角を現してきたクインシーが70年代にはR&Bフュージョン路線へと変化し、『スマックウォーター・ジャック』や『愛のコリーダ』といった傑作アルバムを次々送りだしていた。その人脈の広さや、ブラザーズ・ジョンソン、パティ・オースティンといった豪華なメンバーでのアルバム制作はクインシーならではのスタイルだったといえるが、その方法論をそっくりマイケルの方へ向けての最初が『オフ・ザ・ウォール』。参加メンバーもクインシー人脈によるセッション系ミュージシャンが多かったが、『スリラー』以降はポップ・アーティストの参加が目立つようになっていった。ある意味《ウィ・アー・ザ・ワールド》はその究極の形。今思うに、70年代のクインシー・サウンドは当時のブラック・ミュージックの最先端のサウンドであり、80年代以降のポップ・ミュージックの導火線にもなったといえる。そんな時代のクインシーの魅力を再度確認しつつ、マイケルとクインシーのコラボを大いにリスペクトしたい。



TEXT:和泉登


Body_heat_2   Gula_matari  Smackwater_jack  Mellow_madness Ymba10020_2   









(左上から)ボディ・ヒート[ユニバーサル
 PROA-278]、グラ・マタリ[PROA-276]、メロー・マッドネス[PROA-279]、スマックウォーター・ジャック[PROA-277]
セレブレーション・アット・モントルー2008 [ヤマハミュージックアンドビジュアルズ  YMBA10020]