クラシック
CDアルバム

ルドルフ・ケンペ・コレクション

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在庫状況 について

フォーマット CDアルバム
発売日 2012年06月01日
国内/輸入 輸入
レーベルTestament
構成数 12
パッケージ仕様 ボックス
規格品番 SBT121281
SKU 749677128128

構成数 : 12枚

<CD1>
シューマン:交響曲第1番《春》Op.38(1955年6月20日、モノラル)
ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》Op.95(1957年9月2日、ステレオ)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

<CD2>
ベートーヴェン:交響曲第3番《英雄》Op.55(1959年9月3日、ステレオ)
シューマン:序曲《マンフレッド》Op.115(1956年11月26日、モノラル)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

<CD3>
ベートーヴェン:序曲集[《フィデリオ》序曲、《レオノーレ》序曲第3番、《コリオラン》序曲、《プロメテウスの創造物》序曲、《エグモント》序曲](1957年7月1日&9月5日、ステレオ)
J.S.バッハ:管弦楽組曲第3番BWV1068(1956年11月27日、モノラル)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

<CD4>
ベルリオーズ:《幻想交響曲》Op.14a(1959年5月3日、ステレオ)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ベルリオーズ:序曲《ローマの謝肉祭》Op.9(1958年12月21日、ステレオ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

<CD5>
モーツァルト:序曲集[《フィガロの結婚》序曲、《コシ・ファン・トゥッテ》序曲、《魔笛》序曲、《イドメネオ》序曲](1955年12月4日、ステレオ)
モーツァルト:弦楽セレナード第13番《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》K.525
(1955年11月23~24日、ステレオ ※当CDでステレオ初登場)I
ハイドン:交響曲第104番《ロンドン》Hob.I:104(1956年6月、ステレオ)
フィルハーモニア管弦楽団

<CD6>
ワーグナー:《ローエングリン》第1幕&第3幕前奏曲、《パルシファル》第1幕前奏曲&聖金曜日の音楽、《トリスタンとイゾルデ》前奏曲と愛の死
(1958年2月10~13、17日、ステレオ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

<CD7>
J.シュトラウスI世:《ラデツキー行進曲》
J.シュトラウスII世:《こうもり》序曲、*皇帝円舞曲、*《千一夜物語》間奏曲、*ワルツ《ウィーンの森の物語》、*ポルカ《クラプフェンの森で》
ヨゼフ・シュトラウス:*ワルツ《ディナミーデン》、同《天体の音楽》
レハール:ワルツ《金と銀》
ホイベルガー:《オペラの舞踏会》序曲
(1958年2月12、19、20、22日、*1960年12月21~22日、ステレオ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

<CD8>
メンデルスゾーン:序曲《フィンガルの洞窟》Op.26
ウェーバー:《オベロン》序曲(以上、1958年12月18、19、21、22日、ステレオ)
レズニチェク:《ドンナ・ディアナ》序曲(1958年2月18~19日、ステレオ)
シューベルト:《ロザムンデ》の音楽D797[序曲、間奏曲第3番、バレエ第2番]
(1961年12月11、12、15日、ステレオ)
スメタナ:《売られた花嫁》序曲(1958年12月22日、ステレオ)
スッペ:《ウィーンの朝・昼・晩》序曲(1958年2月18~19日、ステレオ)
ヨハン・シュトラウスII世:ポルカ《浮気心》(1960年12月21~22日、ステレオ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

<CD9>
ヘンデル:《王宮の花火の音楽》(1962年5月、ステレオ)
バンベルク交響楽団

グルック:バレエ組曲(モットル編)(1961年12月12~13日、ステレオ)
コダーイ:組曲《ハーリ・ヤーノシュ》(1961年12月17日、ステレオ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

<CD10>
ブラームス:交響曲第4番(1960年2月14、22、23日、ステレオ)
メンデルスゾーン:《真夏の夜の夢》の音楽[序曲、夜想曲、スケルツォ、結婚行進曲](1961年1月31日&2月2~3日、ステレオ)
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

<CD11>
スメタナ:《売られた花嫁》組曲[序曲、ポルカ、フリアント、道化師の踊り]
ドヴォルザーク:《スケルツォ・カプリチオーソ》Op.66
(以上、1961年4月26日&1月27日、ステレオ)
フンパーディンク:《ヘンゼルとグレーテル》組曲[序曲、魔女の騎行、ジンジャーブレッド・ハウス、魔女のワルツ、ドリーム・パントマイム]
(1961年1月、ステレオ)
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

<CD12>
*リムスキー=コルサコフ:交響組曲《シェエラザード》Op.35
(1967年2月16~17日、ステレオ)
ワインベルガー:《バグパイプ吹きのシュワンダ》~ポルカとフーガ
(1961年1月、ステレオ)
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、*アラン・ラヴディ(ヴァイオリン)

ドヴォルザーク:《スケルツォ・カプリチオーソ》Op.66
(1957年7月1日、ステレオ ※当CDでステレオ初登場)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

  1. 1.[CDアルバム]
  2. 2.[CDアルバム]
  3. 3.[CDアルバム]
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  12. 12.[CDアルバム]

作品の情報

商品の紹介

ドイツの名指揮者、ルドルフ・ケンペ(1910~76)の英EMIへの主要録音をCD12枚にまとめたものです。
ケンペは第2次大戦直後は旧東ドイツ側で活動し、1949年には名門ドレスデン国立歌劇場の音楽監督に任命されます。その際、3つのオペラを録音しますが、彼の知らないうちに許諾なしでアメリカでLP発売されるなど、彼の国際的なキャリアを戦略的に高めるものではありませんでした。
1952年、ケンペはバイエルン国立歌劇場の音楽監督に任命され、旧西ドイツ側での活動を開始します。就任当初からケンペの上演は成功に次ぐ成功を収め、翌1953年にはイギリスのコヴェント・ガーデン王立劇場で《サロメ》を上演し評判を呼びました。ケンペのイギリスの代理人は英EMIの名物プロデューサー、ビクネルに手紙を書き、EMIへの契約を打診します。その後、メトロポリタン歌劇場でも成功を収めたケンペに米Columbiaも興味を持ちます。
結局1955年、ケンペはドイツのEMIと3年の専属契約を結びました。第1回目のセッションは1955年6月、ベルリン・フィルハーモニーと行われました。元々は7か月前に亡くなったフルトヴェングラーのためにスケジュールされていたものでした。<CD1>に収録されているシューマンの交響曲第1番《春》はこのセッションの中で録音されました。
1955年11~12月にはロンドンのアビーロード・No.1スタジオでフィルハーモニア管弦楽団と初めてのセッションを行いました。<CD5>に収録されたモーツァルトの序曲集と《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》がこの時の録音です。もともとステレオで収録されており、ともにLPはモノラルのみの発売でしたが、序曲集のみはオープン・テープでステレオ発売されていました。《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》のステレオ版はこのCDが初リリースとなります。(1/2)
タワーレコード(2014/04/28)

一方、1956年にはベルリンでシューマンの《マンフレッド》序曲<CD2>、バッハの管弦楽組曲第3番<CD3>を録音しますが、こちらはモノラル録音です。1957年5月まで、EMIはベルリンでのステレオ録音を行わなかったからです。1957年7~9月のベートーヴェンの序曲集<CD3>《新世界より》<CD1>、1959年5月の《幻想》<CD4>、同年9月の《英雄》<CD2>はステレオ録音です。
1958年にはウィーン・フィルとの録音を開始しました。これまでケンペはウィーン・フィルを指揮したことがありませんでしたが、ウィーン・フィルの母体であるウィーン国立歌劇場は数年来振って成功を収めていたので、お互いをよく知る間柄になっていました。1958年から1961年まで、ケンペはウィーン・フィルと多くの録音を行いました。このセットにも<CD4><CD6>~<CD9>に収録されています。この時以降、すべてステレオで録音されるようになります。
1960年にケンペはEMIの後押しもあり、ロイヤル・フィルの創設者で首席指揮者のビーチャムより後継者に指名され、翌年ビーチャムが亡くなると首席指揮者に就任しました。1960~61年にケンペはロイヤル・フィルとLP3枚分の録音を行いました(<CD10><CD11>及び<CD12>のワインベルガー)。
1962年1月、ケンペとEMIの専属契約は終了し、亡くなるまでの14年間、様々なレーベルへ様々なオーケストラと録音を行うようになります。<CD12>のロイヤル・フィルとの《シェヘラザード》はケンペがフリーになった後、1967年にEMI傘下のワールド・レコーズのために録音したものです。
1970年代に入るとEMIは再びケンペを起用して、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団とのR.シュトラウス/管弦楽作品全集、ミュンヘン・フィルとのベートーヴェン/交響曲全集を録音しました。
ケンペは1975年にロイヤル・フィルの首席指揮者を辞し、BBC交響楽団の首席指揮者となりました。しかし、その数か月後の1976年、指揮者としての働き盛りの65歳で亡くなり、世界の音楽ファンを悲しませました。(2/2)
タワーレコード(2014/04/28)

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