テニス待望セカンド・アルバムで日本デビュー&インタビュー
2011年1月にリリースされたテニスのデビュー・アルバム『ケイプ・ドリー』は、“そよ風のようなポップ・ソングが詰まった魅力のあるアルバム”とThe Wall Street Journalに評された他、軒並み全世界で高い評価を獲得。このアルバムの成功とモスクワまで及んだ1年の大半をかけたツアーの後、ギタリストのパトリック・ライリーとヴォーカル/キーボードのアライナ・ムーアは自宅に戻り、当初はただのベットルーム・レコーディング・プロジェクトだったテニスがバンドになったことを自覚した。
セカンド・アルバムへのチャレンジが彼らの上にのしかかっていたが、ソングライティングは順調に進み、3ヶ月以内に新しいアルバムの準備の大半は終了。ライリーが提示した新しいバンドの方向性は“モータウンを経験したスティーヴィー・ニックス”。新しいアルバムで彼らは自分達のサウンドを熟させ変化させることを目的としたのだ。ライリーとムーア、そしてドラマーのジェームス・バローネは、ザ・ブラック・キーズのパトリック・カーニーとレコーディングをおこなう為、ナッシュビルに向かった。彼らは曲の肉付けをカーニーとおこない、レコーディングはスムーズに進行。3週間でアルバムは完成した。その後、アルバムからの最初のシングル「オリジンズ」がForest Family Recordsより限定の7インチで2011年12月にリリースされ、7インチのサポートと新曲のリハーサルも兼ね、The Miniature Tigersをサポートにウェスト・コーストのツアーもおこなわれた。
こうして完成したセカンド・アルバム『ヤング・アンド・オールド』は2012年2月、Fat Possum Records(スピリチュアライズド、ヤック、ウェーヴス他)よりリリースされ、ビルボードのヒートシーカーズ・チャートで初登場1位を記録、CMJチャートでも1位を記録している。
日本盤ボーナス・トラック2曲収録+初回盤のみファースト・アルバム『Cape Dory』全10曲を収録
【オフィシャル・インタビュー】
●テニス結成のきっかけを教えてください。
「パトリックとは大学生の時に知り合ったの。パトリックは卒業したらすぐに旅に出て、船乗りになって航海する計画を立ててた。それでぐっときたの(笑)。私の知り合いはほとんど、卒業したら大学院に進もうとか法科に行こうとか、そんな人ばっかりだったのに、船乗りになろうなんていうのは彼だけで。それにインスパイアされて、それから仲がよくなるにつれて付き合うようになって。当時、私は自分も卒業したら大学院に進もうと思ってたんだけど、それをいったん延期して、彼と一緒に旅に出ようって決めたのよ。それで、結局二人で8ヶ月船で暮らすことになった。あれは本当にすべてが変わるような体験で、旅の終わりには結婚しようってことになったのよ。それで結婚して、デンバーに戻って、仕事を見つけて。それから、1年間海の上で生活したっていうシュールな体験を、自分達なりに消化しようとしはじめたのね。実際、人に伝えるのが難しかった。でも思い出を失いたくなかったし、そこで学んだことも失いたくなくて。それで、私達はそれについて曲を書きはじめたのよ。旅から戻って半年くらい経った頃かな? 一緒に曲を書きはじめて、最初に(1st『ケイプ・ドリー』収録の)“マラソン”が出来たの。で、友達に聞かせるためにインターネットでシェアしたら、いくつか音楽ブログに取り上げられて、ラジオでかかりだして、突然いろんな人からメールがきはじめて。私達はどういう人なのかとか、あの曲は何についてなのかとか、ライヴをやりたくないかとか訊かれたのよ。つまり、突然、一曲を元にしてバンドが始まったっていう(笑)」
●二人の音楽的趣向はどのような感じなのでしょうか?
「私は子供の頃、ほとんどクラシック音楽とミュージカルしか聴かなかったの。ジュディ・ガーランドの古い映画とか、そういう音楽が大好きで(笑)。パトリックの方は、もうなんでも好きっていうタイプ。昔のロックもなんでも聴くし、私より大人っぽいテイストを持ってる。私は小さい時に教会で歌っていて、私もパトリックも大学では短期間音楽を勉強したの。その後で二人とも哲学を発見して、知的追求の対象として哲学と恋に落ちたのね。音楽より哲学の方が自分には合ってると思った。実際、パトリックとは哲学の授業で知り合ったし。二人とも音楽を勉強してたんだけど、哲学に変えた後に知り合った。それが私達二人のバックグラウンドね。二人で航海している間、フロリダ・キーズに停泊してた夜に、ラジオからシレルズの“ベイビー・イッツ・ユー”が流れてきて。それまで私、あの曲を聴いたことがなかったんだけど、もう曲のすべてと恋に落ちたの。で、もし自分が曲を書くことがあったら、こんな風にしたいと思った。だから『ケイプ・ドリー』を書いてる時には、ああいう50年代のポップ・ソングが頭にあったわ」
●前作『ケイプ・ドリー』は高評価を獲得しましたが、今作をリリースにあたりプレッシャーはありましたか?
「まったくプレッシャーは感じなかった。これがどんな風に受け止められるか、とか。私とパトリックが一番好きなのは、曲を書くことなの。例えば私は、ライヴをやるのがすごく苦手で……性格的に、ステージの上で注目の的になるのが楽しめなくて。私達のライヴを観たことのある人ならわかると思うんだけど、私ってMCもほとんどしないし、クラウドの方もほとんど見られなくて。大抵は目をつむったままなの(笑)。でも曲を書くのは大好きだから、もう3rdアルバムの曲も書きはじめてる。だから、曲を出さなきゃいけない、みたいなプレッシャーはまったくないのね。スランプもまったくない。いつだって新しい曲を書きたいと思ってるから」
●どうしてプロデューサーにブラック・キーズのパトリック・カーニーを起用したのですか?
「ブラック・キーズの音楽スタイルは私達がインスパイアされてきた音楽と同じところから生まれているから。ラッキーなことに、過去にブラック・キーズとレーベルをシェアしてたのね。彼らの旧譜はアメリカではファット・ポッサムから出てるから。それで共通の知り合いがいて、パトリック・カーニーにプロデュースに興味があるか打診したの。それがうまくいって、実際私達、びっくりしたし、嬉しかったし。彼とやるのは本当にポジティヴな体験だった。次も絶対、彼と一緒にやりたいと思ってる」
●アルバム・タイトルの由来は?
「アイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツの詩“ア・ウーマン・ヤング・アンド・オールド”から取ったの。私が重要な詩人や作家を読み直してる時に、この詩に出会ったんだけど。うまく説明できないんだけど、とにかく心を動かされたのよ。曲を聴いてすぐに『これこそ私の歌だ!』って思うのと同じように、自分の詩だって感じた。そういうのって、それまで詩に対して感じたことがなかったのに」
●アルバムで気に入っている曲は?
「歌詞で一番誇りに思ってるのは、“マイ・ベター・セルフ”かな。あれは歌詞が先にあって、後から曲ができた数少ない曲の一つなの。普通は大抵、先に曲ができるから。でもこの曲の場合は違っていて、先に歌詞で表したいことがあった。できばえにもすごく満足してる」
●日本のファンに一言お願いします。
「まずは、聴いてもらえて本当にありがとう、ってこと。それから、とにかくできるだけ早く来日します、ってことかな(笑)」
カテゴリ : 予約 | タグ : UK/US INDIE
掲載: 2012年04月13日 20:15