世界的なフルート奏者、オーレル・ニコレ氏が90歳で死去
ランパルとともに20世紀を代表する名フルート奏者、オーレル・ニコレ氏が2016年1月29日、90歳で亡くなりました。謹んで哀悼の意を表します。
ニコレ氏は1926年1月22日、スイスのフランス国境ヌーシャテル生まれ。12歳で初リサイタルを開き、チューリヒ音楽院でアンドレ・ジョネに師事、ブルクハルトに作曲を学びました。1945年にはパリ音楽院に入学し、マルセル・モイーズに師事。1947年にプルミエ・プリ(一等賞)を獲得して卒業しました。1948年には当時のフルート奏者の登竜門、ジュネーヴ国際コンクールに優勝。チューリヒ・トーンハレ管、ヴィンタートゥール管の首席奏者を歴任し、1950年、巨匠ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの招きでベルリン・フィルの首席奏者となりました。
ベルリン・フィル時代はフルトヴェングラー、チェリビダッケ、カラヤンの下で演奏し、とくにチェリビダッケに対する尊敬は終生変わりませんでした。1978年3月に来日した時に、チェリビダッケも読売日本交響楽団の招きで来日しており、演奏会を聴いたニコレはレスピーギの交響詩《ローマの松》の演奏後、「ブラボー!チェリビダッケ!」と叫んでいたという逸話が残っています。楽屋では両者10年振りの再会を喜んでいたそうです。
1959年にベルリン・フィルを退団した後は、ソリスト、そして教育者として世界的に活躍。ソリストとしては暖かいトーンと作品の内面に深く切り込んだ演奏で現代最高のフルート奏者と言われました。レパートリーも古典から現代まで実に幅広く、とくにバッハ演奏で定評がありました。リゲティ、ライマンなど現代の作曲家たちも彼に作品を捧げており、中でも武満徹は彼の演奏を敬愛し、《ヴォイス》《そして、それが風であることを知った》を彼のために作曲し、最後の作品となった《エア》も彼の70歳の誕生日を祝して書かれたものでした。
フルートの奏法では循環呼吸(息継ぎなしで演奏し続ける技術)の草分けの1人で、彼はオーボエの名手ハインツ・ホリガーからこの技術を学びました。ある夜、ウォッカを嗜んだ彼は、警察からアルコール検査を受けた際、この循環呼吸で乗り切ったというエピソードもあるそうです。ちなみに彼はお酒を非常に愛し、また管楽器奏者には珍しいヘビー・スモーカーであったということです。
教育者としては1952年から1965年までベルリン音楽大学の教授を務め、その後もフライブルク音楽大学やイタリアのキジアーナ音楽院などで後進の指導を続け、その門下からはエマニュエル・パユ、イレーナ・グラフェナウアー、フェリックス・レングリ、カール=ハインツ・シュッツ、日本の西田直孝、藤井香織、小山裕幾など多くの世界的なフルート奏者を輩出しています。
(タワーレコード)
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掲載: 2016年02月01日 18:30