日本人初ベルリン・フィル定期出演ピアニスト!豊増昇のバッハ:ゴルトベルク変奏曲&フーガの技法
小澤征爾、園田高弘、舘野泉を育てた日本ピアノ界の名伯楽・豊増昇(1912-1975)。教育家としての業績はもちろんながら、演奏家として再評価の機運が高まっています。今回は遺族所蔵の貴重な音源からバッハの傑作2点を復刻。
彼は1933年、東京音楽学校(現・東京藝術大学)ピアノ科を首席で卒業した際、バッハ・プログラムでデビュー・リサイタルを開催。その後もバッハ作品の研究を続け、1949年にはバッハ歿後200年に向け、1年かけて全ピアノ曲の連続演奏会を行いました。53年には新バッハ協会ただひとりの日本人会員に推挙されました。豊増昇の凄すぎるバッハ、ご期待下さい。
(キングインターナショナル)
※このCDは弊社独自企画で、海外盤が存在しません。
これぞ日本人による最初のゴルトベルク変奏曲録音!
日本人による「ゴルトベルク変奏曲」のオフィシャルな最初の録音は、神西敦子によるコロムビア盤とされていますが、それ以前に豊増昇が録音を残していました。1950-60年代に旧東ドイツで放送用セッション録音されたもので、遺族が奇跡的にマスターを所蔵していた貴重な記録。モノラルで、放送用のため繰返しを一切行っていませんが、カット等はない全曲演奏。豊増は当時日本を代表するバッハの権威で、その演奏で「ゴルトベルク」を聴くことができるのは幸せな限り。極めて端正な楷書風の造形感のなかにも、活力と愉悦に満ちた音楽を聴かせ、ピアノのよる「ゴルトベルク変奏曲」の魅力を存分に味あわせてくれます。豊増芸術の粋を示した名演の登場です。
【参考画像】
豊増昇氏が亡くなった直後に遺族が出した、当録音の私家盤LPレコード(廃盤)
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988 (35' 00")
豊増昇(ピアノ)
[旧東ドイツでの放送用モノラル・セッション録音]
バッハの権威・豊増昇究極の「フーガの技法」
バッハ最晩年の作「フーガの技法」は、未完なうえ楽器の指定もない大作。さらにフーガという高度な作曲技法を極限まで追求しているため、おいそれと近づくことのできない要塞の呈をなしています。日本でも滅多に演奏されませんが、バッハの権威だった豊増昇は、1950年(昭和25年)に東京で独奏しています。その21年後の1971年に東京の日比谷公会堂で、ドイツの名ピアニスト、アマデウス・ウエーバージンケと2台のピアノで披露しました。ヴォルフガング・グレーザー校訂譜を、エーリッヒ・シェエーブシュが2台のピアノ用に編曲した楽譜によりますが、楽器の指定はないものの、3つの変奏は「2台のクラヴィアのため」と明記されているため、全体として説得力に満ちています。技術的にも余裕で、複雑の極みの音符から、いとも清明な音楽を引き出し思わずひき込まれます。
J.S.バッハ:フーガの技法BWV1080 (78' 00")
(エーリッヒ・シェエーブシュによるヴォルフガング・グレーザー版の2台ピアノ用編曲)
豊増昇、アマデウス・ウエーバージンケ(ピアノ)
[録音:1971年4月13日/日比谷公会堂(ライヴ)]
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豊増昇の再評価はここから始まった!「キングレコード秘蔵音源シリーズ」の1枚
小澤征爾、園田高広、舘野泉のピアノの師。“バッハの権威"豊増昇の遺した伝説のキング録音!
豊増昇(1912-75)はベルリン高等音楽大学でレオ・シロタ、フレデリック・ラモンドに師事し、日本人として初めてベルリン・フィルの定期に出演した伝説のピアニスト。小澤征爾、園田高弘、舘野泉のピアノの師としても知られています。残された録音は少なく、ことにバッハの権威として有名ながら、音で聴くことができませんでした。何とそのバッハ録音がキングレコードに遺されていました!
この録音は作曲家・中田喜直の働きかけで実現したもの。キング音羽スタジオにはベーゼンドルファーがあり、これを用いての録音。氏の柔らかな美しい音、豊かな音楽性が十全に捉えられた名録音。日本人離れした演奏に驚かされます。
(キングインターナショナル)
豊増昇バッハを弾く
イタリア協奏曲ヘ長調BWV971
フランス組曲第5番ト長調BWV816
パルティータ第3番イ短調BWV827
豊増昇(Pf、ベーゼンドルファー)
録音:1968年4月15日、5月17日/キング音羽第2スタジオ(エンジニア・菊田俊雄)
CDの解説書には、中田喜直によるLP時代のライナーノーツのほか、小澤征爾が恩師に贈る感謝の辞「ピアノとラグビー、小澤君指揮もあるよ」を掲載しています。
また、2015年12月には小澤征爾・小澤幹雄編著「ピアノの巨人 豊増昇」も出版されました。
豊増昇(プロフィール)
1912年:5月23日佐賀市生まれ
1933年:東京音楽学校器楽科卒。1935年:同校研究科修了
1936-38年:ベルリン・ホッホシューレ(ベルリン音楽大学)に留学、レオ・シロタ、フレデリック・ラモンドに師事。
1940年:ベートーヴェンのソナタ全曲演奏会
1942-43年:東京音楽学校助教授。1943-46年:同校教授
1950年:バッハのピアノ曲全曲演奏会(15回連続演奏会)を開いて、日本におけるバッハ演奏の権威となった。
1952年:ドイツ新バッハ協会会員。以後、ライプツィヒのバッハコンクールの審査員をつとめる。
1952-61年:京都市立音楽短期大学教授
1956年:日本人ピアニストとして初めてベルリン・フィルの定期演奏会に出演(指揮はカイルベルト、曲はフランクの交響的変奏曲)
1959年:武庫川女子大音楽部長
1961年:日本芸術院賞受賞(授賞賞理由:「洋楽(ピアノ)永年にわたるピアノ運動、特にバッハの演奏に対し」))
1962年:日本芸術院会員
1975年:10月9日肺がんのため死去。享年63。
カテゴリ : ニューリリース
掲載: 2016年07月05日 16:00