あらためて振り返る!「初音ミク」が日本の音楽・サブカルチャーに大きく影響を与えたワケ

今や日本の音楽シーンやクリエイターたちに多大な影響を与える存在となった、歌声合成ソフトウェア「VOCALOID」。その代表とも言える「初音ミク」は、どのようにして生まれたのだろうか。今回取り上げる書籍「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」では、“彼女”が新しい時代やカルチャーを作り上げる起爆剤になった理由を紐解いていく。
●「初音ミク」開発のきっかけになった1通のメール
本書の著者である柴那典は、「ナタリー」「Real Sound」など数多くのメディアで活躍するライター兼ジャーナリスト。音楽・サブカルチャーといった分野をメインに、これまでさまざまな記事執筆やインタビューをおこなってきた。 柴曰く、初音ミクの誕生にはとある音楽家の言葉が大きく影響したという。その音楽家とはずばり、日本の90年代~00年代初頭のエレクトロニカ・シーンを牽引した竹村延和だ。
のちに初音ミクを開発するクリプトン・フューチャー・メディア株式会社は当時、すでにいくつかのボーカロイドソフトウェアを発売していた。一方の竹村はこのとき、独自の歌声合成技術やスピーチ・シンセサイザーといったツールを自身の音楽制作に活用しはじめていたのだそう。そうした経緯があり、竹村もまたボーカロイド技術への関心は高かった。
ところが当時のボーカロイドソフトはまだ発展途上な部分が多く、プロの現場で使うにはクオリティ面に不安がある状態だ。そんな矢先の2007年、クリプトン社あてに竹村から1通のメールが届く。メールの内容は、「作品制作のためにボーカロイドソフトを購入したが、まったく使えない」という大変に厳しい意見だった。のちに初音ミクの開発に携わることになる同社の佐々木渉は、当時についてこう振り返る。
自分が本当に尊敬するミュージシャンから、わざわざ直々にボーカロイドの中身や見え方についてメールでダメ出しをされた。それは大きかったと思います。
さすがにちょっと悔しかったんです。そして、その二ヶ月後くらいに、じゃあ自分でやろうということで初音ミクの開発に着手しました。 (※注)
●カルチャーの転換期が重なった“2007年”の奇跡
初音ミクが一気に注目を集めた理由としてさまざまな関係者が挙げるのが、“2007年”というタイミングでの発売だった点だ。
振り返ればこの時期はYouTubeやTwitter(現X)、ニコニコ動画など、数々のプラットフォームが本格的に始動しはじめた時代。ネットユーザーそれぞれが“クリエイター”として自由に創作物を発表しやすい環境が整っていく中で、初音ミクは著作権などの問題にも縛られにくいオリジナルな表現ツールとして連鎖反応的に広まっていったのだ。初音ミクは、単に音楽制作ソフトウェアやキャラクターとしてヒットしたのではなく、アマチュアの表現がネット上で互いに呼応する、一つの新しい文化現象を生み出したのである。
こうした創作の連鎖こそが、二〇〇七年の運命的なタイミングが用意したものだった。 (※注)
●『千本桜』が爆発的にヒットした理由
初音ミクを用いて制作された楽曲にはさまざまなものがあるが、なかでも記録的なヒット曲として知られるのが黒うさP(WhiteFlame)の『千本桜』だ。
2011年9月にニコニコ動画で公開された『千本桜』の楽曲動画は、カラオケ「JOYSOUND」の年間総合ランキングでもAKB48、ゴールデンボンバーの楽曲とならぶ第3位にランクインするほど話題を集めた。
『千本桜』のヒットの理由について著者の柴は、「日本人の情緒に訴える要素が絶妙に配置されていた」と分析する。
ピアノロックをベースにした疾走感あるリズムに、「和」のテイストを活かした曲調、唱歌や童謡にも用いられる「ニロ抜き短音階」(ラシドレミファソラの七音階から二度と六度の音を抜いた五音音階)を巧みに使った旋律。特にピアノのリフとサビのメロディは一度聴いたら耳から離れないキャッチーさを持っていた。 さらに黒うさPが得意とする楽曲の物語的な魅せ方やメディアミックスのしやすさも相まって、ロングヒットにつながったのだ。 (※注)
今や音楽ジャンルのひとつとして普及している“ボカロ”ミュージック。本書を通じて、「初音ミク」がたどってきた軌跡をあらためて振り返ってみてはいかがだろうか。
注)柴那典「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」より引用
柴那典 著書
▶柴那典によるエッセイ/コラム『【ポップの羅針盤】第17回 『創作のミライ』と次の時代へのリファレンス』はこちら。

