アドリアーナ・ カルカニョット
サンバを更新するミニマルな美意識
「サンバ」という言葉から一般の人たちがイメージするのは、ブラジルの各都市のカーニバルにおけるエスコーラ・ジ・サンバだろう。すなわち、情熱の花が咲き乱れているようなカラフルでホットな踊りと音楽。そんなサンバに対して、アドリアーナ・カルカニョットの最新作『サンバの微生物』は、カラフルでホットどころか、むしろモノトーンでシック。しかもミニマリズムに貫かれているサンバだ。約4年ぶりの来日公演は、そんなアドリアーナならではのサンバに観客全員が酔いしれた、今年屈指のコンサートだった。
ダヴィ・モレイス(ギター)、ドメニコ・ランセロッチ(ドラムス)、アルベルト・コンチネンチーノ(コントラバス)。このようにバンドの編成はシンプルだが、リズムのバリエーションは多彩。そしてアドリアーナのサンバは、多様な歴史や文化をはらんでいて、自由な発想にあふれている。その点で、《タォン・シッキ〜とてもシック》は、『サンバの微生物』をもっとも象徴する曲、と言っていいだろう。というのも、この曲のリズムは、マルシャ・ハンショという古いサンバのリズム。そしてダヴィ・モライスが弾くカヴァキーニョは、まるでポルトガル・ギターのような哀愁にあふれていて、ファドのように聞こえる。個人的には、ブラジルからポルトガルへのラヴレターと解釈したいところだが、ともかくミクスチャーが斬新だ。
「その分析には同意するけど、最初からこのような形を想定して曲を作ったわけではないの。それと一般の人たちは、サンバは明るい音楽で、ファドは悲しい音楽だと思っているだろうけど、そうとは限らない。実際はもっと複雑です。そして『サンバの微生物』自体も、あらかじめコンセプトを立ててから作り始めたわけではなく、もともとブラジル人である私自身のDNAに組み込まれていたサンバが自然発生的に沸き上がり、このようなアルバムに仕上がったと言うべきでしょう」
アドリアーナにとって『サンバの微生物』は、単純なルーツへの回帰的作品ではなく、あくまでも独自の発想でサンバを構築した作品だ。そしてこの『サンバの微生物』は、通算8作目にして初めて彼女の自作曲でまとめられたアルバムでもある。
「私の中には、シンガー・ソングライターとインタープリターの両方の面があります。現在は曲を作ることが楽しい。ですから、シンガー・ソングライターとしての面が自然に出るというサイクルなのでしょう。ただ、ブラジルの伝統的な名曲や自分が影響を受けたアーティストの曲を録音することも楽しいし、自分の作曲に対する刺激にもなっています。ですから、これからも両方の面を出していくと思います」
『マレー』(08年)に収められている《セン・サイーダ》は、アウグスト・デ・カンポスの詩に息子のシッヂ・カンポスが曲を付けた曲。そのアウグストの兄のアロルド・デ・カンポスも、カエターノ・ヴェローゾをはじめとするトロピカリアのアーティストに大きな影響を与えた詩人だ。アロルドはブラジルの新聞に詩人の北園克衛の紹介記事を書いたことがあるのだが、この話をすると、アドリアーナは俄然身を乗り出した。そしてミニマリズムに貫かれた『サンバの微生物』は、いわば俳句的なアルバムであり、竜安寺の石庭のような小宇宙である、と指摘すると、このように答えてくれた。
「竜安寺の石庭を訪れたことはないけど、おそらく静寂の小宇宙ということなんでしょうね。俳句はよく読みます。先ほどファドの話が出たので、あえて言っておくと、アマリア・ロドリゲスがファドを超越した歌手であるように、松尾芭蕉は俳句を超越したアーティスト。ええ、松尾芭蕉の俳句は、まさに小宇宙だと思うわ」
『サンバの微生物』を貫いているミニマルな美意識は、コム・デ・ギャルソンやヨウジ・ヤマモト、イッセイ・ミヤケのファッションにも通じるように思う。ちなみにコンサートにおける4人の
衣装は、それぞれスタイルは異なっていたものの、黒で統一されていた。
「ブラジルでも、80年代にイッセイ・ミヤケのファッションがおおいにもてはやされましたけど、その3人のデザイナーが作る洋服はそれぞれ一過性のものではなく、なおかつ独自の世界観が表現されていると思います。ですから、私としても、非常に共感を覚えます。ええ、今日私が着ているシャツは、コム・デ・ギャルソンです」
最後にあえて触れておくと、アドリアーナは、アドリアーナ・パルチンピン名義で、子供向けのアルバムも発表、コンサート活動も行っている。
「子供は、社会にとっていちばん重要な存在だからです。なぜなら彼らは、未来を担っているのですから」
こんなアドリアーナは、東京公演の最後、「No More Nuclear Power」と言って、ステージを去った。このことの意味を改めて噛み締めたい。
photo: Ryo Mitamura