上間綾乃
心を動かし、伝わる「うた」を求めて
──「ずっと民謡を歌ってきましたから、自分の中からそれが消えることはないんです」
良いアーチストを育てるための最高の栄養とは何だろう。それは憧れのヒーローであるかも、しのぎを削る好敵手であるかも、人や環境との巡り合わせかもしれない。しかし一番シンプルながら大きな力になるのは、自分の中から出た表現が目前にいる人の心を動かし、何らかの反応を引き出すことではないか。
「中学校1年の時に師匠と一緒に行ったハワイで、時間があるから地元の施設に歌いに行かないか? と誘われたんです。ハワイには沖縄からの移民の方も沢山いますから、そこで《懐かしき故郷》という曲を歌った時、みんなが涙を流して、喜んで聴いてくれたんです。私のうたでそこのじぃちゃんばぁちゃん達に沖縄にいた頃の思い出がよみがえり、そして私も歌うことでそこに繋がっていられる。目に見えないつながりを、うたを通して感じることができる。それで〈うた〉っていいなと思ったし、唄者の使命がそのときに芽生えましたね」
沖縄本島の具志川市(現在はうるま市)で生まれた上間綾乃は、子供の頃から民謡が大好き。小学校に入ると祖母が通う民謡教室に入ろうとしたほどだ。
「でもまだ手も小さいし、三線に子供用はないからもう少し待って、それでもやりたければいらっしゃい、と言われて。でもやっぱり民謡をやりたくて2年生から始めました。それからずっと民謡一本。カセットテープで民謡をかけて子守歌にして寝ていました」
そんな民謡少女は、先に書いたハワイでの出来事で、うたを伝えることの魅力を知る。そして数年後には、それが民謡に限らないことを体験したという。
「自分で書いた最初のオリジナルは高校3年生の時でした。沖縄では高校を出ると進学就職で多くの友達が本土に出て行くのですが、そんな友達に向けて歌った曲でした。自然に体から出てきた言葉やメロディを形にしたもので歌詞は標準語でした。この曲もまた一番近しい友達が涙を流して喜んでくれたんです。方言ではなく、普段使っている言葉で歌っても感動してくれたのが衝撃的で。言葉を広げて歌うと伝わることに気づきました」
こうした体験を通して、唄者としての面白さや感動を知った上間は、その後にステージに立つようになる。
「最初は緊張して大変でした。でもお客さんから拍手と笑顔をもらうと、それがすごく嬉しくて」
活動を続けていけば、しかも実力が本物であれば出会いは後からついてくるものだが、上間は民謡で基本がしっかりできているのだから、世界は広がるのは当然のこと。
「アレンジを手がけてくれる伊集タツヤさんとは20歳のころに出会いましたね。向こうはロックやポップスの世界で活躍する人で、お互いジャンルは全く違いますが、2人の色がいいようにあわさって、新しい曲がいくつもできました」
その広がりはこの度のメジャーデビューへと繋がっていく。
「特にこの一年は出会いがさらに拡がって、もう目が回りそう(笑)。でも、すごく刺激的ですね」
メジャーデビューとなるアルバム『唄者』にクレジットされている名前を見れば、どれほど刺激的かはわかるだろう。例えば既に共演した古武道。上間のオリジナル曲に新たな世界を与えたショーロクラブ。そして井上鑑を筆頭とする、日本でも屈指のミュージシャン達。
「もうすごい人達ばかり。しかもみんな私の良さを引き立ててくれるように、しかも優しくリードしてくれるのがわかるんです。だからすごく気持ち良くできました。私の場合はすごく気持ちに左右されてしまうので、一緒に演奏する人と合わなければ良いものはできないと思います。特にショーロクラブの皆さんは……うまく言えませんが濃かったですね(笑)。3人でおしゃべりしているとかみ合っていない気もするんですが、演奏すると同じ方向にウァーと向かっていって、良い意味で強烈でした。井上さん達についても、恥ずかしながら、そこまでの大御所の方だと後から知ったくらいで。でもそのおかげで、変な緊張感はなかったです。でもレコーディングで参加するミュージシャンは、もっとお仕事としてさらりと演奏して帰るものかと思ったんですが全然違いました。音楽に対する熱意を感じて、嬉しかったです。誰もが音楽と仲間が好きでやっているんだ、というのがものすごくわかりました」
新たな出会い、そして新たな世界への船出を果たした喜びがこちらにも伝わってくる。ただ、それと共に上間は民謡という世界からポップスへと大きく舵を切り、飛び出してしまうのだろうか。
「ここまでずっと民謡を歌ってきましたから、自分の中からそれが消えることはないんです。実はポップスを歌っても、自分ではその意識がなくて、全部自分の〈うた〉の延長線上なんです。確かに聴いている側はジャンルで分けるかもしれませんが、自分としてはみんな同じ〈綾乃のうた〉なんです」
人の心に伝わり、そして突き動かす〈うた〉。早くも彼女は、彼女自身のそれを捕まえているようだ。それではその〈うた〉の成長を、僕らも一緒に見つめていくことにしようじゃないか。