シュ・シャオメイ
流れる大河をまえに、なんとか生きようとしている
人生にはいろいろなことが起こる。しかし、そのすべてを静かに受けとめながら、問いかけと探求をやめないピアニストがいる。バッハの大河、その秘密をもう一人の天才である老子との出会いとともにシュ・シャオメイはみつめる。
「私は自分ができることはなにかを知っています。偉大な人物を前にしたら、それはごくごく微細なことにすぎない。これは謙遜ではなく、私の率直な実感です。バッハはもちろん、ベートーヴェンやモーツァルトの前に立つとき、自分の力をみせようなどとは私にはとても思えません」
シュ・シャオメイは慎ましい口ぶりでそう語った。上海に生まれ、北京中央音楽院で学ぶさなかに、文化大革命が起こり、内モンゴルの労働改造所での生活も経験した。音楽院に復学して卒業後に渡米し、1980年代半ばからパリを終の住処として、演奏活動を続けている。パリ・デビューにも選んだバッハの《ゴルトベルク変奏曲》を、自身の人生のアリアであるかのように愛奏し、これまで20か国、200回以上も演奏してきたという。5月11日のトッパンホールでのリサイタル前日に話を聞いたが、それでもこの曲を演奏するのは「怖いです」と微笑んだ。「32章にもわたる大航海ですから。人生に幸せなとき、メランコリー、ユーモアに溢れるとき、感情的になることがあるように、多種多様な変化が描かれていく。私は人生はくり返しだと思います。そうでなければ終わってしまう。私たちは同じように過ちをくり返し、同じように人と出会い、素晴らしい経験をくり返していく。まさに人生そのものです」
初録音から20年を経て、昨年《ゴルトベルク変奏曲》を再録した。「さらに妥協を許せなくなってきたので、よい行いかどうか定かではありませんが(笑い)、少し時間をおいて聴き直してみます。大事にしたかったのは自由な感覚をもって臨むことです。くり返すとはなにか違うものを包括し、進歩発展していくことなのだと思います」
二度の変奏曲の間には、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、のCDも発表してきた。「ドイツの作品ですが普遍的な音楽ですから、私たちもそこに明瞭なものを感じられる。そして、異なる文化を抱くからこそ、謙虚な姿勢をもって、さらに豊かに、新しい意味を与えることができるのだと思います」
バッハを「つねに皆のほうに下っていく大きな河の流れ」と彼女は称える。では、シュ・シャオメイという水は?「とてもとても(笑い)。なんとか生きようとしているだけの存在です」