渋谷から秋葉原までは30分ぐらいだお!
元BiSのりなはむが秋葉原(=オタク文化)と渋谷(=ギャル文化)を繋ぐ〈アキシブ project〉を立ち上げた……という話題に、数年前に用いられていた〈アキシブ系〉という言葉を思い出した人もいるのではないだろうか。ただ、往時の〈アキシブ系〉における渋谷とは、ギャルではなくいわゆる〈渋谷系〉を指すものだった。あえてザックリ単純化して言ってしまえば〈オシャレ+オタク〉というわけである。
その流れのひとつは、後発世代も含む渋谷系オリエンテッドな音楽家たちが90年代後半ごろからアニメ音楽やゲームミュージック(および、当時は現在よりも日陰のムードが強かったアイドル音楽)の世界に活躍の場を広げたことで始まったと言えるだろう。高浪敬太郎(現・高浪慶太郎)がピチカート・ファイヴ『カップルズ』を意識したとされる「ちょびっツ」の象徴的なサントラをはじめ、ROUND TABLEや沖野俊太郎らが流入し、カフェ音楽的なボサノヴァやソフト・ロック、クラブ・ミュージックなどの成分が二次元カルチャーに溶け込み、独自の成熟を遂げていくことになったのだ(もちろん菅野よう子のような逆サイドからの動きが前提だったのだろうが)。逆に、初期capsuleらネオ/ポスト渋谷系と括られた流れが、あらかじめナードな趣味性を孕んでいたこともそうした状況を整えた遠因かもしれない。その流れの先にPerfumeが登場してくるのは言わずもがな。
とはいえ、普通に渋谷系マナーの音と秋葉原コンシャスな感覚を下地に持つAira Mitsukiやバニラビーンズ、amUのような世代が台頭してくるにつれ、〈アキシブ系〉という言葉は次第に風化していく。が、それはその系譜が途絶えたのではなく、両者の融和が特殊なケースではない、ごく自然なものになったことの証明でもある。地名を記号と捉えて、凄く単純に〈キュート+ナード〉〈おしゃれ+二次元〉などと定義してもいいならば、その現在進行形は前山田健一の一連の仕事や、何よりきゃりーぱみゅぱみゅ、さよならポニーテールらの纏う空気に息づいていると言える。最近だといずこねこもその匂いがするし、初音ミクの渋谷系カヴァー集が出たのも遅ればせながらの象徴的な出来事ではないか。てなわけで、夢眠ねむの明快なバックグラウンドも思えば、でんぱ組.incがオザケンやかせきさいだぁに手を伸ばすのも至極当然の流れなのだばだだばだ。
▼関連盤を紹介。
左から、2007年のコンピ『AKSB〜これがアキシブ系だ!〜』、2002年のサントラ『ちょびっツ 001』、ROUND TABLE feat. Ninoの2003年作『APRIL』(すべてビクター)、capsuleの2003年作『phony phonic』(contemode/YAMAHA)、Aira Mitsukiの2008年作『COPY』(D-topia)、バニラビーンズの2009年作『バニラビーンズ』(徳間ジャパン)、前山田健一も参加した野宮真貴の2012年のセルフ・カヴァー集『30』(ソニー)、さよならポニーテールの2012年のシングル『空も飛べるはず/ビアンカ/恋するスポーツ』(エピック)、2012年の企画盤『渋谷系 feat. 初音ミク』(ワーナー)、いずこねこの2012年作『最後の猫工場』(silencio sounds)、小沢健二のベスト盤『刹那』(EMI Music Japan)、かせきさいだぁの95年作『かせきさいだぁ≡』(トイズファクトリー/AWDR/LR2)
カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2013年01月09日 18:00
更新: 2013年01月09日 18:00
ソース: bounce 351号(2012年12月25日発行)
文/出嶌孝次