インタビュー

藤倉大(2)

現代音楽がどうやって書かれるのか
作曲家がどんな風に作品を書くのか

作曲家がどんな風に作品を書くのか。それは本人にしか分からない部分だけれど、ちょっと秘密を教えて頂いた。

「自分で言うのも変ですが、僕は集中度がはんぱ無く深いようなんです。友人の家族が遊びに来ていて、子供たちが騒いでいるのに、いきなり曲を書き始めてしまって、全然他の人の声が聴こえなくなる。妻が、それではお客様に失礼だ、と言うのですが、しかし自分でも気がつかないうちに、そうなっているのです。また、子供がソファから落ちて泣いているのに気づかず、ずっと曲を書いていたりしたこともあります。常に作品のことは頭の中で考えているのですが、それが突然やって来ると、深く集中してしまうのです。マルチタスクには対応していないのです。

でも、その集中がいつ来るかは自分でコントロールできないので、普段の生活はだらだらしているように見えるでしょうね。子供もいるので、お昼寝している間に書いてしまおうとか思っても駄目なんです。それであまり内容のないアメリカのテレビドラマを観ていると、突然音楽がやって来て、集中してしまい、子供が泣いても気がつかない。お風呂が一杯になっても気がつかないし、パスタを茹でても気がつかない。面白いドラマや映画だと逆にそこに集中してしまい、ダメなので、なるべく内容のないドラマが良いです(笑)」

作品のアイディアはどんなところから生まれてくるのだろう

「例えば《アトム》というオーケストラ曲が演奏されますが、これはアトム=原子のような粒から始まって、それが融合を繰り返して次第に大きくなっていく、というアイディアはあったのです。ところがそれをどうやって音楽にしていくか、というのは難しい。最初の部分を考えつくのに2ヶ月、3ヶ月ぐらいかかる訳です。その間、ひたすら音楽のことを考えているのですが、ひたすら悶々としている。そして外見はダラダラしているように見えるので、そんな暇なら生徒でもとって教えたらとか言われてしまう(笑)。でも、その考えている間は教える事が出来ないのですよ。作品を抱えている時はそういう日々が続いて行きます」

こんな質問をしてみた、自分にとってのライヴァルはいますか、と。

「よく分からないけれど、もしライヴァルがいるとしたら、過去の自分だと思います。つまり前の自分の作品よりも常に良い作品を書きたい、書こうという意欲がとても大事だということ。いまも新しいピアノ協奏曲を書こうとしているのですが、以前書いたピアノ協奏曲である《アンペール》とは違う個性を持ったものにしたい、そう思い続けています。しかし、そういうハードルをあげると、本当に大変なのです」

例えばだが、モーツァルトのようにサラサラ作品が書ける、そういうことは起こりえないのだろうか?

「モーツァルトは、もうあらゆる作曲家の中で彼だけが別格の世界にいますね。あんな風に書けたら、ホントに楽しいと思うけれど、歴史的にみて他には誰も出来ていない。ということはモーツァルトだけが違うということなのでしょうね。だって音階書いて、途中で同じところで一箇所同じ音を繰り返して、それだけで音楽になるなんて、モーツァルトだけでしょう(笑)。

そういう点で考えると、やはり近現代の作曲家の原点というのはベートーヴェンなのだと思ったりします。彼自身の病気もあるけれど、常に音楽のことを考えて、試行錯誤する、ああでもない、こうでもない、と、ひたすら何度も書き直す。そのあたりから作曲家の苦悩は始まったのでしょう。またベートーヴェンは世界最初のロック・スターですね。Twitterも無い時代に、ベートーヴェンの葬儀にウィーン市民が何千人も集まったとか聞くと、凄い人気だったのだと思います」

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カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2013年04月18日 20:04

ソース: intoxicate vol.103(2013年4月20日発行号)

interview & text : 片桐卓也

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