多彩な表情を持つ新宿と、そのなかを往く人々を描いた歌
男に見捨てられた〈ネオンぐらしの蝶々〉の悲哀を歌い上げる藤圭子の“新宿の女”、ビーチ・ボーイズ風のドリーム・ポップに乗せて切ない別れの場面を描く愛奴の“恋の西武新宿線”、あらゆる意味で初々しすぎるデュエットが衝撃的な仲村トオル&一条寺美奈の“新宿純愛物語”、言わずと知れた椎名林檎の“歌舞伎町の女王”、根城とする路地裏の風景に社会そのものを照射したMSCの『新宿STREET LIFE』──新宿を舞台とする名曲、珍曲は多数あるが、『ハッピーランチ』の制作中に前野が生活拠点を移した街は、そうしたさまざまな人間模様を孕む巨大都市だ。けばけばしいネオンがどこまでも続く歓楽街と、無数のオフィスを抱え込む高層ビル群。そんな、ある種の荒廃と無機質さと快楽が同居する場所が日常となった彼は、そのことによって「〈東京〉という言葉に色気を感じなくなった」と語る。だがそれは〈東京〉に対するロマンの喪失ではなく、前作から継承されている〈東京の不穏な空気感〉が、殺伐とした景色が意識せずとも目に入る現在の日常と符号したからではないだろうか。何の変哲もない街の風景を追いながら、本作のなかには危うさが醸し出す色気が充満している。
そして、そんな色気を纏って新宿を往く歌の主人公は、他のアーティストの楽曲にも登場する。例えば前野と同じく加地等からの影響を匂わせる大森靖子の“新宿”。雑踏の音を敷いたメルヘンチックなエレポップに合わせて〈あたし新宿が好き/汚れてもいいの〉と不安定な歌唱を聴かせる同曲からゴールデン街に目を向けると、そこにはチャラン・ポ・ランタンが。この20歳そこそこの姉妹デュオの場合は姉の小春が実際に同地のバーでママを務めているというトピックもあるが、〈チンドンmeetsバルカン・サウンド〉な音世界のなかで情念をユーモラスに吐き出す歌が、場末感のあるエンターテイメントを構築している。そこからさらに妄想の領域へ足を踏み入れると、〈新宿革命記念公園通りのナナメ45度の傾きの坂道〉にはZAZEN BOYSも。メトロポリタンなムードのディープ・ハウス・チューン“Asobi”では、〈虚無の悪寒の予感〉に誘われて振り向いたところ、目の合った女との数時間が綴られる。そこからまた現実に戻ると、cali≠gariによる“東京、40時29分59秒”も、90年代といまの新宿の光景が交差するナンバーだ。ムーディーなAOR歌謡調が、哀愁の詞世界を後押ししている。
前野の新作と同様、やさぐれたロマンティシズムとセンティメンタリズムが特有の色気に転じているこれらの楽曲群。新宿のオフィスレディとオフィスメンは今日も束の間のハッピーランチを取る。そして、歌うたいはその裏に張り付いた詩情を嗅ぎ取り、歌を生み出しているのだ。
▼文中に登場したアーティストの作品。
左から、藤圭子の70年作『新宿の女 ★演歌の星/藤 圭子のすべて』、愛奴の75年作『愛奴』(共にソニー)、椎名林檎の99年作『無罪モラトリアム』(ユニバーサル)、MSCの2006年作『新宿STREET LIFE』(Libra)、大森靖子の2013年作『魔法が使えないなら死にたい』(PINK)、チャラン・ポ・ランタンの2013年作『ふたえの螺旋』(Mastard)、ZAZEN BOYSの2008年作『ZAZEN BOYS 4』(MATSURI STUDIO)、cali≠gariの2012年作『11』(FlyingStar)
カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2013年12月18日 17:59
更新: 2013年12月18日 17:59
ソース: bounce 362号(2013年12月25日発行)
文/土田真弓