インタビュー

マヒトゥ・ザ・ピーポー 『POPCOCOON』



マヒトゥ・ザ・ピーポー


[ interview ]



いまの日本のロック・シーンでもっとも刺激的なバンドのひとつ、下山(GEZAN)のヴォーカリストであるマヒトゥ・ザ・ピーポーが、2枚目のソロ・アルバム『POPCOCOON』をリリースする。下山は超絶にアッパーでエクストリームな爆音サウンドを聴かせるが、ソロはそれとは対照的に、繊細な声や内省的な歌詞が印象に残るリリカルな楽曲が持ち味。その両面を同時に表しているのが、彼の奥深さであり魅力と言えるだろう。

初の全国流通盤となる本作は、共同プロデュースに即興系ミュージシャンの宇波拓を迎え、ノイズ、電子音、生楽器などの装飾音を効果的に使い、マヒトの歌に豊かな彩りを与えている。春の陽だまりや夏の蜃気楼を思わせ、ほのかな幻想性が漂う独自の世界を作り上げた傑作だ。インタヴューは〈速度〉〈勘違い〉〈虚構〉といったマヒトにとってのキーワードを巡りながら、いまの彼が何を考えているのかを追ってみた。


現実逃避できる音楽が、いまいちばん優しい



――そもそもマヒトさんがソロを始めたのは、下山だけでははみ出してしまう部分が多いからということなんですか。

「それもそうだし、下山はお腹に力を入れた無酸素運動みたいな感じが強いんですけど、ソロはその後のため息みたいな感じですね。体温で言うと、ソロは35〜36度くらいの感じで、下山が39度5分くらいの感じがします」

――その両方を併せて自分、ということですか。

「そうですね。でももうちょっと言うと、自分とすらも思ってないような気はするんですけどね。よくわかっていなくて。この2つで全部成り立っているとも思えないし、全部やっぱり虚構なんで。今回の歌詞のなかでも〈世界で一番美しいウソをついて〉(“光る贅肉”)っていうのがあるんですけど、その感じに近いかな。そういう曲を書いて〈ああ、自分はこう感じてたんだ〉って確認していってるようなところはあるなあと思って。それが下山では掬い切れないようなところで、すごく平熱に近いまどろんだ感覚みたいなのが、ソロではあるかな」

――自分というもの、自分のなかに渦巻いているものに対して、持て余しているような感じということですか。

「持て余してるかはわからないんですけど、(それについて)わかってはいないですよね。だから、昔からあるんですけど、例えば映画を観て涙が出た時に、鏡の前で涙が出ている顔をずっと見ていたり、喧嘩して怒ってる時に怒ったままずっと自分の顔を見ていたりとか。それに近いかもしれない」

――内面で起こっている部分と、それを客観視している自分がいて、その両者が格闘している、みたいな?

「なんか速度みたいなものに追い駆け回されているんですよね。速度って別に〈速さ〉みたいなものじゃなくて、鈍い痛みみたいな速度もあって、退屈みたいな、いろんな速度と競争し合ってるような感じっていうのがありますね。自分と闘ってるという感じではなくて、あんまり一人称がいないんで」

――ああ、一人称がいないから虚構になる、ということですか。

「だから、ソロを聴いて良いと思ってくれたらそれは良い勘違いだし、あんまり良くないなと思ったらそれは悪い勘違いだし、どっちかでしかないというか。勘違いっていうのは全然否定してるわけじゃなくて。いま日本がこれだけ腐ってて、現実逃避したいと思えない人のほうが不健康だと思ってて。音楽を聴くっていうことにおいても。別に否定するわけじゃないんですけど、現実の延長線上にいったとしても自分としては全然救われない。現実逃避できる音楽が、いまいちばん優しいと思うんで。そういう意味では、虚構とか勘違いとか、想像力みたいなものが、自分にとっては尊い感覚な気がしてます。だから、良い勘違い、悪い勘違いっていう話も、すごくポジティヴな意味なんです。そこに逃げ込めばいいと思うし」


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掲載: 2014年02月26日 18:01

更新: 2014年02月26日 18:01

インタヴュー・文/小山 守