インタビュー

INTERVIEW(2)――走っていないとダメ



走っていないとダメ



マヒトゥ・ザ・ピーポー



――下山は聴き手に対してアクションを起こす音楽だと思うんですけど、ソロは自分の内面に潜り込んでいる、言ってみれば自分のためにやってるって感じがするんですよ。つまり聴き手への意識が違うのではないかと。

「もちろん聴いてくれたら嬉しいんですけど、ガツガツ求めるものっていうのはないですよね。やっぱりひとりぼっちで聴いてほしいですね。ひとりで聴かれるべき音楽だなと。何かが変わる時、大げさに言うと革命みたいな、そういう時って大きな人数が動いて、その数っていうのも重要なこととされてるんですけど、やっぱり深さみたいなものってあるじゃないですか。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとかも、(初期の)ライヴを十数人しか観ていなかったけど、その全員がバンド始めたみたいな。あの話、いまだに好きですね。横の幅だけじゃなくて、その人にとっての思い入れみたいな。スポーツで言うところの金メダルや銀メダルとかみたいに、数字で表せない抽象的なところが、音楽の強さですよね。そうあってほしいなっていう。それが広がればそれは嬉しいですけど」

――じゃあソロに関しては、聴き手の数に関わらず続けていく、ということですか。

「そうですね。でも自分のためっていうとまた違うんですよね。自分の気持ちを探るっていう話をずっとしましたけど、それを外に見せるっていうことは境界線がある。自分の日記ではないんで」

――ああ、確かに日記ではないし、内面を正直にさらけ出すみたいなところとは全然違うわけで、幻想的な世界を築いているというところでは、ある種のエンターテインメントでもありますよね。マヒトさんにとってソロっていうのはそういうものということですか。

「うん、いま喋りながら、そういうのを書こうと思っていたんだ、って思いました。こういうことかって」

――もうひとつ、最近の下山のライヴで「あと2年でやりたいことをやる」って言っていましたよね。生き急いでいるというか焦燥感というか、もっと言えば破滅衝動みたいなものも感じたんですけど、実際どうなんでしょう。

「下山で焦燥感みたいなものはあるんですけど、その言葉は焦っていたから言ったのではなくて、ものすごく冷静というか冷めたところから出てきてますね。暴走して何かする、みたいなものとは違います。たとえば“夏の幻”の歌詞にある〈焼けたコンクリートの上で 潰れたバッタ 乾いたイノチ〉みたいな。その干からびた、あたりまえのように淡々と時間が経って物が寂れていくとか、消えてしまったりとか、そういう冷たさっていうか、それに近いところから出ている気がします。それがどういう意味なのかはわかんないんだけど」

――自分たちの意識としては冷静だけど、表に出る音や行動は衝動めいたものがある、みたいなことですかね。だから活動はどんどんやっていくみたいな?

「それはさっき言った〈速度との競争〉ということで、自分が少しでも緩めたら、俺止めちゃうんですよね。1回緩めるとたぶんすべて捨てる。だから走っていないとダメなんですよね」




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掲載: 2014年02月26日 18:01

更新: 2014年02月26日 18:01

インタヴュー・文/小山 守