またひとり、あまりにも偉大なソウル・シンガーが天に召された……
〈ナァ~ナナナナ~、ナナナ、ナァナナナナナナ~、ナナナナ~♪〉……誰もが一度は耳にしたことがあるこのフレーズ。そう、〈ダンス天国〉の邦題で知られる“Land Of 1000 Dances”の一節だ。歌うはウィルソン・ピケット。ファッツ・ドミノも作者として名を連ねるクリス・ケナーのオリジナルを激情迸る豪快な歌唱でオレ流に歌い倒し、みずからの十八番にしてしまった男。言葉に濁点をつけるように歌い叫び、汗臭く男臭いソウル・シンガーのイメージを広く世間に伝えたのがこの人、この曲だったと言っていい。サム・クックやオーティス・レディングらと並び称され、〈Wicked(悪戯っぽくて実力がある)〉の愛称でも親しまれたソウル・ミュージックの巨匠。であると同時にピケットは、後にも先にも類を見ない唯一無二の存在だった。映画「ソウル・サヴァイヴァー」のなかで近年の彼はこのように話している。
「(俺の歌唱は)誰にもマネできない……大声だけじゃダメなんだ。ジェイムズ・ブラウンとオレとでは歌い方が違うんだ」──無遠慮とも言える〈オレ様〉な言動……それがロック方面のリスナーたちからも共感を得た理由なのかもしれない。だが、そんな豪傑も今年1月19日、心臓発作で天に召された。64歳だった。
ウィルソン・ピケットは41年、アラバマ州プラットヴィル生まれ。10代半ば頃にデトロイトへ移住し、いくつかのグループを経て、60年頃にはエディ・フロイドやサー・マック・ライスらがいたファルコンズに加入。62年にヒットした“I Found A Love”はピケットの野放図なまでの激唱が響き渡る名曲として知られている(バック演奏はオハイオ・プレイヤーズの前身バンド)。その後ファルコンズを脱退したピケットは、62年からソロで再出発。ロイド・プライスが主宰するダブル・Lから数曲のヒットを飛ばすが、快進撃が始まるのは64年、アトランティックに入社してからのこと。65年の“In The Midnight Hour”を皮切りに、“634-5789”や前述の“Land Of 1000 Dances”“Mustang Sally”“Funky Broadway”……と、スタックスやマッスル・ショールズなどのミュージシャンを起用しながら激しく歌い暴れ、無骨に愛を語れば、他人のヒット曲を次々とオレ流に変えてもいった。70年代に入るとギャンブル&ハフの元でフィラデルフィア録音も経験。ふたたびマッスル・ショールズに赴いて録音した“Don't Knock My Love”も久々にR&Bチャート1位となるなど、黄金時代は72年にアトランティックを離脱するまで続いた。なお、ガーナでの音楽祭を記録した映画「ソウル・トゥ・ソウル/魂の詩」では、その頃のピケットの勇姿を観ることができる。
RCA移籍以降、80年代後半までは、自主レーベルのウィキッド、EMI、モータウンなどを渡り歩いたピケット。聴くべき曲も少なくないが、それでもアトランティック時代に比べればヒットは激減した。そんなピケットが10年近くの眠りから覚め、映画「ブルース・ブラザーズ 2000」への出演に続いてリリースしたのが、結果的に生前最後のアルバムとなった『It's Harder Now』(99年)だった。先に挙げた映画「ソウル・サヴァイヴァー」での発言は、実はちょうどこのアルバム制作中のもの。自信満々に〈第2の黄金期が始まるぜ!〉とでも言いたげな表情に、その7年後他界してしまうなどと誰が予測したであろう。実際、身体を患う2004年末までは精力的にツアーをこなしていたとも聞く。まさにソウル・サヴァイヴァー。強い者だけが生き残れる世界でピケットは生き続けた。〈まだ死んじゃいないぜ!〉――亡くなった今もそんな声がどこからか聞こえてきそうだ。ウィルソン・ピケットのソウルを葬り去ることなんて、到底できやしない。
▼ピケットの勇姿が拝めるDVDを紹介。
「ブルース・ブラザーズ 2000 コレクターズ・エディション」(ソニー・ピクチャーズ)