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第12回 ─ ホット・ワックス/インヴィクタス

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2006/03/30   21:00
更新
2006/03/30   23:34
ソース
『bounce』 274号(2006/3/25)
テキスト
文/JAM

デトロイト・ソウルの輝きを永遠のものにした3人の男たちがいた……

モータウンのトップ・ソングライター・チームとして、60年代を通じてその屋台骨を支えてきたホランド・ドジャー・ホランド(H=D=H)──エディ・ホランド、ラモン・ドジャー、ブライアン・ホランド。その3人が、自分たちの功績や功労を正当に評価してこなかったモータウン首脳陣に反旗を翻すかのような格好で独立し、西海岸へと本拠を移す古巣になど目もくれず、デトロイトに居座って69年に設立した兄弟レーベル、それがホット・ワックスとインヴィクタスだ。

 立ち上げ当初、ホット・ワックスの配給はブッダが行い、インヴィクタスのほうはCBSの配給で全米リリースされることとなり(もうひとつの系列レーベル=ミュージック・マーチャントはホット・ワックスの傘下的な位置付けだった)、レーベル設立の翌年にはフリーダ・ペインの“Band Of Gold”が早々とミリオン・セラーに輝いている。多様化しはじめていた古巣モータウンとは対照的に、ノーザン・ソウル/デトロイト・サウンドのスピリットを正々堂々と引き継いでいたことがこの2レーベル最大の特徴で、契約アーティストにもモータウン時代のH=D=Hにとって最高の表現者だったダイアナ・ロス(&シュープリームス)、リーヴァイ・スタッブス(フォー・トップス)といった面々を仮想した形でレパートリーを整えていくなど、それはあたかも腕ずくで〈モータウン黄金時代〉の復古を成し遂げてやらんとするかのような勢いだった。例えば、先述したフリーダ・ペインを送り出す際にイメージされたのはむろんダイアナ・ロスだっただろう。同じようにハニー・コーンにはシュープリームス、チェアメン・オブ・ザ・ボードのジェネラル・ジョンソンにはリーヴァイ・スタッブスを見立てていたであろうことは、彼らの作品を聴けば手に取るようにわかる。

 また、H=D=Hの下にはアーティストのみならず、ソングライター/ミュージシャンたちも含めてデトロイトの隠れた逸材が続々と引き寄せられており、6年足らずで暖簾を畳んでしまったレーベルにもかかわらず、その短期間に70年代屈指の布陣によって彩られたノーザン・ソウルのクラシックを数多く残したことは、ほとんど驚異の域に入ると言っていい。先のフリーダ・ペイン“Band Of Gold”以外にもポップ・チャート上位に食い込んだビッグ・ヒットは少なくなく、ミリオン・セラーに到達したシングルだけを挙げても、フリーダの“Bring The Boys Home”、チェアメン・オブ・ザ・ボードの“Give Me Just A Little More Time”、100プルーフ・エイジド・イン・ソウルの“Somebody's Been Sleeping In My Bed”、8thデイの“She's Not Just Another Woman”(実際演じていたのは100プルーフ・エイジド・イン・ソウルといういわく付きの1曲)、ハニー・コーンの“Want Ads”と“Stick Up”……と、前述した“Band Of Gold”を加えれば計7曲もある。

 また、100プルーフ・エイジド・イン・ソウルにはスティーヴ・マンチャ、8thデイにはメルヴィン・デイヴィス、というソウル史の見出しにもなるようなグレイト・シンガーたちが在籍していたのに加え、稀代のロマンス・テラーであるタイ・ハンターを擁したグラス・ハウス、K-CI&ジョジョの伯父を中心にしたグループであったことも判明したバリノ・ブラザースのような連中まで在籍していたのだから、その凄さを改めて思い知らされる。ホット・ワックス/インヴィクタスはまぎれもなく、70年代の最重要レーベルのひとつなのだ。