90年にロックの殿堂入りを果たしたH=D=H。ホット・ワックス/インヴィクタスでの活動ももちろん重要だが、それ以前に語られるべきは60年代モータウンのヒット・マシーンとしての偉業の数々だろう。
もともとはブライアン・ホランドとラモン・ドジャーが共同で裏方活動をしていたところに、ソロ曲“Jamie”(61年)をヒットさせながらも歌手活動は不向きだと感じていたエディ・ホランド(ブライアンの兄)が加わるかたちで始まったH=D=H。その快進撃は63年頃からスタート、硬質なノーザン・ビートを伴った名曲を生み続け、特にシュープリームス、マーサ&ザ・ヴァンデラス、フォー・トップスのヒット曲の多くがH=D=Hの手によるものだった(モータウンではホランド&ドジャー名義のシングルもリリース)。その後、インヴィクタスでの活動を経て、トリオを解消したのが73年。ブライアンがオズモンド兄妹の作品に関わるなど、それぞれが各自で活動を始める。なかでもラモンはシンガーとしてABC~ワーナー~コロムビアに録音を残しながら、アレサ・フランクリン、マージー・ジョセフ、フューチャー・フライト、ズィンガラなどをバックアップ。UK音楽界とも交流を持つようになった80年代後半以降はシンプリー・レッドやオマーらの作品に関わりながら、91年にはフィル・コリンズの制作でアトランティックからソロ作を発表している。
近年はジョス・ストーンらの作品に参加する傍ら、H=D=H時代の曲をセルフ・カヴァーしたソロ作も出した。また、その途中、H=D=H本体も84年に一時リユニオンしており、ホット・ワックスの傍系だったミュージック・マーチャントも同時に再興されている。それは後にH=D=Hと名を変え、ハリウッドを拠点に現在もフォーシー(デトロイトの女性グループ)などの新人アクトをエディの采配で送り出している。H=D=Hの伝説はいまなお続いているのだ。
▼文中に登場したアーティストの作品を紹介
ラモン・ドジャーのベスト盤『The ABC Years & Lost Sessions』(Expansion)