ソウルの遺産を新たな視座からリフォーマット。今回はあの巨大レーベルをほんの入口までご紹介!
アリフ・マーディンがいた時代……アトランティックにソウルの花が咲いた
創立60周年を目前に控えた老舗レーベル、アトランティックの周辺がふたたび騒がしい。ライノやコレクタブルズなどから怒涛の勢いで登場している旧作リイシューをはじめ、アトランティックの名物エンジニア/プロデューサーの伝記映画「トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男」の公開、そして最近のニュー・リリースには昔懐かしい同社のレーベル・ロゴが復活するなど、〈名門アトランティック〉を印象づけるトピックが増えてきているのだ。そんななか残念な話題ではあるが、アトランティックのハウス・プロデューサー/アレンジャーとして名を馳せたアリフ・マーディンが、6月末に他界した。享年74歳。アトランティックの創設者であるアーメット・アーティガンと同じトルコ出身のアリフは、トルコで知り合ったクインシー・ジョーンズの誘いで渡米。バークリー音楽院を経た後、63年にアトランティックに入社し、アーメットの兄であるネスヒのサポートをしながら裏方の仕事を習得した。当初はジャズの仕事が中心だったが、67年にアトランティックに移ってきたアレサ・フランクリンの作品にエンジニアとして関わり、以後ソウル系ではアレサやダニー・ハサウェイ、マージー・ジョセフ、アヴェレージ・ホワイト・バンドらの作品でプロデュースを担当。こうした実績から、70年前後のアトランティック=アリフ・マーディンというイメージさえ出来上がった。もっとも社内的には、67年にレーベルをワーナー・セヴン・アーツ・コーポレーションに身売りし、68年にはスタックスの配給を止め、この頃からロックやポップスの作品に積極的に手を伸ばしはじめるなど、黒人音楽を主軸とした創立以来のレーベル・カラーを失いつつあった。だが、そんな状況を逆手に取るかのようにアリフはトム・ダウドやジェリー・ウェクスラーと共に異種交配を試みながらソウル・ミュージックを次のステップへと導き、名盤と語り継がれるような作品を数多く生み出したのだ。ただ、これもアトランティックの長い歴史のホンの一部。今後は時機を見てR&B/ソウルにおける同社の歴史を数期に分けて紹介していく予定だが、まずは手始めにアリフ追悼の意も込めて、彼の関連作にスポットを当ててみたい。