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第22回 ─ 甦るスタックスの遺産(その1)

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2007/05/02   18:00
ソース
『bounce』 286号(2007/4/25)
テキスト
文/林 剛

ソウルの遺産を新たな視座からリフォーマット。今回は創立50周年記念で復活した人気レーベル!

50周年&再始動で話題豊富な名門レーベル、最初の10年とは?

祝・創立50周年! 今度はスタックスだ。テネシー州メンフィスで産声を上げ、60年代にはアトランティックが配給したサザン・ソウルの名門である。しかもこのたびコンコードの配給下でレーベルが復活。その〈新生スタックス〉には、かつてデヴィッド・ポーターとのコンビでサム&デイヴに“Soul Man”などを書き贈ったアイザック・ヘイズがふたたび迎え入れられ、新しい仲間にはアンジー・ストーンも加わったという。新生第1弾作品は、そのアンジーも参加したアース・ウィンド&ファイアのトリビュート盤『Interpretations -Celebrating The Music Of Earth, Wind & Fire』で、メンフィス出身のモーリス・ホワイトを称えている。何やらスタックスが熱い。

 レーベルの歴史はスタックス研究の第一人者であるロブ・ボウマン氏の著書などにも詳しいが、すべての始まりは57年、カントリー・バンドのメンバーで銀行員だったジム・ステュアートという白人が姉のエステル・アクストンと興したサテライトというレーベルからだった。当初はカントリーの曲を制作していたが、メンフィスのイースト・マクレモア通りにある古い映画館を改装し、スタジオやレコード店を併設した社屋を完成させた59~60年頃、ルーファス・トーマスと娘のカーラを招き入れたあたりから黒人音楽が主流となる。そしてトーマス親子の“Cause I Love You”が地元で評判になると、これがアトランティックの目に留まって全国配給されることに。ところがサテライトという名称が商標問題で使えなくなり、経営者の頭文字=ステュアートの〈ST〉とアクストンの〈AX〉を取ってスタックス(STAX)と改名している。これが61年のことで、当時ヒットしていたマーキーズのインスト曲“Last Night”がスタックス・サウンドの夜明けを告げた。オルガンやホーンの音色を強調した力強くソリッドなサウンドは、そのまま鍵盤奏者のブッカーT・ジョーンズ率いるMG'sに引き継がれ、傍系のヴォルトが稼動しはじめた62年、彼らの“Green Onions”のヒットによってスタックスのソウルは全国的に認知されていく。その頃に人気を博したのはトーマス親子やウィリアム・ベルだった。

 が、やがてジョージア州メイコンからやってきた21歳の青年が“These Arms Of Mine”というバラードを録音、ここでまた新たなスターが誕生する。オーティス・レディングだ。こうしてスタックスは、オーティスや、マッド・ラッズのようなヴォーカル・グループも抱えながら成長を遂げ、65年にはアトランティックからサム&デイヴが送り込まれ、さらなる飛躍を遂げる。この陰には、65年に営業責任者として入社したアル・ベルの尽力もあり、黒人であるアルの同胞に向けた周到な戦略(エディ・フロイドを連れてきたのも彼だ)によってソウル・レーベルとしての機能をさらに高めていく。以後もアルバート・キング、メイブル・ジョン、バーケイズらを抱え、結果的にはモータウンと並ぶ60年代ソウルの象徴となった。……と、そんななか起きたオーティスの飛行機事故死(67年12月)。68年には配給元のアトランティックが買収されたことでスタックスも第一幕を終えるが、オーティスを継ぐ存在となっていたジョニー・テイラーを中心に、その後も新たな歴史が作られていくのだった。  【次号へ続く】
▼新生スタックスのリリースを紹介。

▼60年代スタックスが早わかりの編集盤。


その個別シリーズ第1弾となる『The Complete Stax/Volt Singles Vol. 1』(Rhino)