24カラット・ブラックにデイル・ウォーレンが刻んだ漆黒の夢
スタックスの裏方なら、ブッカーT&ザ・MG'sにアイザック・ヘイズ&デヴィッド・ポーターを加えた、いわゆる〈ビッグ6〉がよく知られている。デトロイトからレーベルに新風を吹き込んだドン・デイヴィスも名高い。が、そのドンと同じように南下したデイル・ウォーレンはどうか。まあ、彼の名に覚えがなかろうと、デイルが率いた24カラット・ブラック(以下24CB)の楽曲を聴けば、ある種の耳馴染みを覚える人は多いだろう。24CBが73年に残した唯一のアルバム『Ghetto: Misfortune's Wealth』は、収録されたほぼ全曲がヒップホップのサンプリング・ソースとして愛されてきたのだ。今回は同作の復刻と、新たな発掘音源集の登場に合わせて、歴史の渦に溺れた才人の功績を振り返ってみよう。
デイル・オスマン・ウォーレンは43年にデトロイトで生まれている。父親がピアニストだった影響もあって、彼は子供の頃から黒人音楽だけでなくクラシック音楽に親しんで育ち、十代になる頃にはピアノやヴァイオリン、チェロといった楽器の演奏に非凡な才を発揮していたという。61年になると、叔母のレイノマがベリー・ゴーディ夫人だというツテもあって、地元の花形レーベルだったモータウンのアレンジャーに就職。まだ17~18歳だったデイルは、スタジオの達人たちから多くを学んだに違いない。が、数年して叔母が離婚するとデイルもレーベルを離れ、下に掲載した面々やベティ・ラヴェット、ベンE・キングらへの楽曲提供/アレンジを手掛けていくことになる。
68年になるとデイルは同郷のドン・デイヴィスと共にメンフィスへ渡ってスタックス入り。アイザック・ヘイズをはじめとする面々との仕事で高い評価を得たデイルが次に取り組んだのは、クラシック~ゴスペル~ファンク~サイケといった自身の愛する音楽を融合するという念願のセルフ・プロジェクトだった。そのコンセプトを具現化する母体は南部に移る前から交流のあったダイタリアンズというシンシナティの大所帯バンドであり、そこにデイルが〈指揮者〉として加わることで、13人組の24CBが誕生したのである。
メンバーのプリンセス・ハーンと恋仲になったデイルが妻と離婚するという混乱も挿みつつ、24CBは録音を進め、ついに先述の処女作『Ghetto: Misfortune's Wealth』を完成させる。が、すでに財政難だったスタックスの宣伝不足も災いして同作は商業的に大失敗し、主要メンバーたちも脱退してしまった。今回発掘された『Gone: The Promises Of Yesterday』は、そんな状況下でデイルが新メンバーたちと録音しつつもスタックスの倒産によって闇に沈んでいった宝石たちの一部というわけだ。
失意のデイルは70年代後半もモータウンやインヴィクタスでアレンジ仕事を続けるが、次第にアルコール依存を深めて表舞台から姿を消していく(94年に逝去)。それでも、24CBが残したロウでシンフォニックなサウンドは、いまも独特の濃密な黒さを帯びて、妖しいまでの美しさを届けてくれるはずだ。不遇の才人が描いたプログレッシヴな煌めきをぜひ体験していただきたい。
▼24カラット・ブラックのリサイクル曲を含む名作を一部紹介。