続々とリイシューされる幻の名盤や秘宝CDの数々──それらが織り成す迷宮世界をご案内しよう!
〈居酒屋れいら〉が休業したのと同じ頃、北越地方のKという温泉地に静養を兼ねてしばらく滞留していた。私は内山田百聞。売れない三文作家であるが、道楽のリイシューCD収集にばかり興じているゆえ、周りからは〈再発先生〉などと呼ばれている。
あれは山向こうのU町まで散歩した時のことである。不注意で道に迷った私は、気付くと見知らぬ繁華な美しい町に辿り着いていた。塔や高楼を持つ洋風の古い建物が立ち並ぶ大通りは人々で賑わっている。
歩いてくる紳士の手元を見るとCDが握られていた。ロン・ウッドの兄であるアートが、弟を含む後のフェイセズの面々と69年に一瞬だけ組んだアート・ウッズ・クワイエット・メロンの秘蔵音源集『Art Wood's Quiet Melon』(Lost Moment)だ。モッドな男気ヘヴィー・グルーヴが渦巻いて無性に格好良い一枚である。
お、路地から出てきた青年の手には、エルヴィス・コステロによる78年のライヴ音源『Live At The El Mocambo』(Rader/Hip-O/ユニバーサル)が! もともとはプロモーション用に配られた一枚だが、当時まだ怒れる若者だった彼のパンキッシュな勢いが炸裂しており、現在の作風とは違う魅力を放っている。
はて、よく眺めると行き交う人々が皆CDを持っているではないか。日傘を差した淑女が片手に持っているのが、アズテック・カメラの感傷とスティーリー・ダンの芳醇さを兼ね備えたようなネオアコ名盤、ヘプバーンズの88年作『The Magic Of The Hepburns』(Cherry Red/ヴィヴィド)というのも相応しい。
それにしても、これだけ人の往来があるのに少しの物音もせず、深い眠りのような影を曳いている。時計屋の前に腰掛けた老人は、西海岸サイケでも指折りの傑作、カークの69年作『Kak-Ola』(Epic/STONE FREE)を握っていた。2本のギターが織り成す幻惑のトリップが堪能できる麻薬的な作品だ。
老人の横でままごとをしている女児が小脇に抱えているのは、パブロフス・ドッグの74年作『Pampered Menial』(ABC/Columbia/アルカンジェロ)ではないか。あまりにも特異な高音声と陰影のあるメロトロンの響きが印象的なUSプログレだが、メロディアスな楽曲が満載で聴き飽きない名品である。ところが、傍らの老人がそのCDにふと気付いた時、静謐な町の空気が一変した。「犬だッ!」――一瞬の沈黙の後、町の街路に充満したのは、猫、猫、猫の大集団だった。家々の窓からは髭を生やした猫が顔を覗かせている。ここは人間の世界ではなくて、猫ばかり住む町だったのか。私は昏倒した……。意識が回復した私の視線に入ったのは、いつものU町の景色だった。そこは平凡で単調な、ただの田舎町に過ぎなかった。