成熟しつつもフレッシュネスを極める日本語ラップの現状を検証
日本語でラップすること自体の是非をいまさらどうこう言う人はいないでしょうが……ある種の浮き沈みを踏まえ、もう少し自分たちのありように自覚的になったアーティストたちによって、ここにきて日本のヒップホップ~日本語ラップ・シーンが改めて大きな盛り上がりを見せつつあります。とか書くと、シーンがあるのかないのかとか、どこからどこまでがシーンなのかとか、妄信的なシーン幻想とか、シーンに属さないほうが自然体とか、毎度の論議が繰り返されそうなところですが、そういう諸々自体がもはや古臭いことです。多様な作品が生まれてきてカテゴリー自体も多様性を獲得している現在、その枠組の有無も是非も、敷居の高さも低さも、リスナーそれぞれが各々で判断したりしなかったりすべきことでしょう。そんなわけで、ここにきて〈日本語ラップ〉の多様性を改めて提示し、新たな機能性を提案する作品が続発されていることは偶然ではないのかもしれません。