(1)星野が〈バンドやろうぜ〉と声をかけ、SAKEROCK結成
角張渉(KAKUBARHYTHM社長)「やっぱり結成が最初でしょ」
星野「2000年10月に、中野の〈クラシック〉っていういまはもうないクラシック喫茶にみんなで集まって。あれ、ハマケンって……」
伊藤「ハマケンはいなかったんですよ」
星野「実はオリジナル・メンバーではございません」
(2)結成したものの、ハマケンがまさかのバンド加入拒否
星野「みんなに〈バンドやらない?〉って声をかけた時に、ハマケンには〈ヴォーカリストになりたいからイヤだ〉って断られました(笑)」
浜野「サポートとして、フルートとかサックスとかもやってたんですけど……。正式にSAKEROCKの一員だと思って演ったのは、ペンギンハウス(高円寺のライヴハウス)でのライヴ。すごい覚えてる。でもヴォーカルやったことあったよね、リー・ドーシーのコピーをやった時に」
(3)自主制作でファースト・アルバム『YUTA』を発表
伊藤「2002年3月に自主で『YUTA』を作って」
星野「下北沢のノアルイズ・レコードに、ひとりで持ち込みに行ったんです。そこからSAKEROCKが始まった感じがします。それがきっかけで全国流通するようになりました」
(4)現メンバーで初のライヴを高円寺のペンギンハウスで行う
星野「キーボードの野村卓史くんが抜けて、いまのメンバー4人で初めてライヴをやったのがペンギンハウス。その時に、〈フジロック〉に出れるよ!と叫んでくれた人がいて。〈SAKEROCKフジロック!〉って(笑)」
浜野「対バンしたバンドの女の子だったよね」
星野「嬉しかったな」
伊藤「いま頃何やってるかな……〈フジロック〉で観てくれてたらいいっすよね」
(5)eastern youth主催のイヴェント〈極東最前線〉に出演
星野「〈極東最前線〉は絶対に重要だよね。僕らが出た日の(お客さんの)入りが前よりも良かったっていうんで嬉しかったのを覚えてる」
社長「『慰安旅行』(2作目)より前?」
浜野「いや、その会場で売ったんだよ。それで68枚売れたんだよ!」