続々とリイシューされる幻の名盤や秘宝CDの数々──それらが織り成す迷宮世界をご案内しよう!
私は内山田百聞。売れない三文作家であるが、道楽のリイシューCD収集にばかり興じているゆえ、周りからは〈再発先生〉などと呼ばれている。それは1年近く滞留していた田舎町に別れを告げて乗った、東京行きの列車での出来事だった。
ノイ!が秘かに録音していた蔵出し音源集『Neu! '86』(High Wire)の単調なビートが、車窓の外に延々と続く暗い日本海の景色とよく似合う。ノイ!らしい即興やカットアップの繰り返しが覚醒と陶酔を誘った。車内には隅に男がいるだけで、あとはガランとしている。
続けて、シーズの66年作『The Seeds』(GNP/HAYABUSA LANDINGS)を聴く。ロウなガレージ・パンクにフラワー・サイケの混沌とリリカルさを注入したような楽曲は、まさにガレージ・サイケと呼ぶに相応しい。ナスティーな歌声を聴きつつ奥の男に目を向けてみる。古風な背広服姿は40歳前後にも60過ぎにも感じられ、どこか西洋の魔術師めいている。
あたりに夕闇が迫った頃、マンダラバンドの75年作『Mandalaband』(Chrysalis/Arcangelo)に切り替えた。オーケストラとバンドが壮大なコズミック空間を創出するシンフォニックなプログレを聴きながら眺める日没は、しばし時を忘れるほどの神々しさだったが、急に奥の男が風呂敷を解きはじめたのに気をそがれた。彼はCDのような物を取り出すと、おもむろに窓際に立てかけた。
小駅を2~3通過する間、パールズ・ビフォア・スワインの68年作『Balaklava』(ESP/HAYABUSA LANDINGS)に耳を傾ける。ところが、ジャケに飾られたボッシュの幻想絵画さながらのねじれたアシッド・フォークが脳内まで侵食したのか、奥の男の所作がどうしても気になった私は、思わず男の席まで向かってしまったのだ。
私を目で追っていた彼はさもあたりまえのように微笑み、窓際の物を手元に寄せた。それはあまりにヘタすぎる素人サウンドが逆に衝撃的なカナダのダメサイケ3人組、ニュー・クリエイション唯一のアルバムである70年作『Troubled』(Alphomega/Companion)じゃないか。確か家族バンドで、ミニスカのお母さんと視線の定まらない息子、そのステディーの冴えないメガネ娘がジャケに写っている。「これは私の母と兄、兄嫁でございます。数十年前に忽然と姿を消しました。部屋にはこの写真だけが残されていたのです」。私は呆然としていた。「きっと3人は写真に閉じ込められてしまったのですよ、歳を取らぬまま永遠に。ですから私は時折外に連れ出してあげているのです」。
しばらく沈黙が続いた後、ふいに列車は小さな駅に停車した。男は会釈し、風呂敷を大事そうに抱えて車外に出た。窓から外を見ると、闇に包まれたホームには誰の姿もなかった。