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第62回――唯一無二な〈ダズ〉を貫く男たち

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2012/12/25   00:30
更新
2012/12/25   00:30
ソース
bounce 350号(2012年11月25日発行)
テキスト
文/林 剛


肉体的かつ機械的にファンク・グルーヴを洗練させたダズ・バンドとは?



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ファンクの聖地=オハイオで産声を上げたバンドといえば、オハイオ・プレイヤーズ、スレイヴ、ザップといった名前が浮かぶが、この人たちも忘れちゃいけない。同州クリーヴランドから登場したダズ・バンド。80年代前半に全盛期を迎えた彼らは、シンセサイズされながらも人力感のある爽やかでダンサブルなサウンドを奏で、ディスコ・ブーム後のファンク・バンドの在り方を示した。〈ダズ〉というとブリックのヒット“Dazz”(DiscoとJazzの合成語)を思い出させるが、ダズ・バンドの〈ダズ〉は〈Danceable Jazz〉の略。ファンク・バンドの多くがジャズ・コンボに影響を受けていたことを伝えるようなネーミングである。

なにしろバンドを立ち上げたボビー・ハリスはサックス奏者(兼シンガー)で、実際、71年にボビーがクリーヴランドで結成したのもベル・テレファンクというジャズ〜フュージョン・バンドだった。そこにドラマーのアイザック・ワイリーらを加えて誕生したのがキンズマン・ダズという名前のバンド。キンズマン(血族/同族の意)とはボビーが育った通りの名前で、この名義で20thセンチュリーと契約し、LAに向かう。アース・ウィンド&ファイア(EW&F)のフィリップ・ベイリーらの制作で78〜79年に発表した2枚のアルバムは小型のEW&Fといった印象を受けるが、後年のファットにしてダンサブルなサウンドはすでにこの時点で完成されていた。

ダズ・バンドと名乗ったのは、その後だった。20thセンチュリーの体制が変わったのを機に、彼らはモータウンと契約。新メンバーを加えて再出発を図るが、ここで加入したのがリード・シンガーとして活躍するスキップ・マーティンである。トランペットを兼任する彼もまたジャズの素養を持つプレイヤーだったというのが、いかにもこのバンドらしい。そして、モータウン時代の彼らを全国区のバンドへと導いたのがプロデューサーのレジー・アンドリュース。彼らはレジーとの二人三脚で力強くループ感のある“Let It Whip”や“Joystick”といったファンクを生み出し、当時やや翳りを見せはじめたコモドアーズと入れ替わるかのようにモータウンのファンク・サイドを担っていく。一方で“Knock! Knock!”に代表されるムーディーなスロウ・バラードも彼らの十八番となった。

モータウンに在籍したのは85年まで。その後クール&ザ・ギャングに移ったスキップ抜きでゲフィン、RCAで作品を発表し、90年代以降はインディーの住人となるも、80年代中期に加わったマーロン・マクレイン(元プレジャー/ショック)をブレーンとして好作を連発している。現在まで10人以上のメンバーが出入りしている彼らだが、ボビーやスキップ(90年代後半にバンド復帰)はいまも健在で、ライヴ活動も続行中。オハイオで育まれたDanceable Jazzなグルーヴは中毒患者を増やし続けているのだ。

 

▼ダズ・バンドのベスト盤『20th Century Masters: The Millennium Collection -The Best Of Dazz Band』(Motown)

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