【数量限定50%オフ!】ドイツの名匠ルドルフ・ケンペのEMI主要録音をCD12枚に集成!
ドイツの名指揮者、ルドルフ・ケンペ(1910~76)のEMIへの主要録音をCD12枚にまとめたものです。
※曲目詳細は商品ページをご確認ください→
西側でのレコード録音開始
ケンペは第2次大戦直後は旧東ドイツ側で活動し、1949年には名門ドレスデン国立歌劇場の音楽監督に任命されます。その際、3つのオペラを録音しますが、彼の知らないうちに許諾なしでアメリカでLP発売されるなど、彼の国際的なキャリアを戦略的に高めるものではありませんでした。
1952年、ケンペはバイエルン国立歌劇場の音楽監督に任命され、旧西ドイツ側での活動を開始します。就任当初からケンペの上演は成功に次ぐ成功を収め、翌1953年にはイギリスのコヴェント・ガーデン王立劇場で《サロメ》を上演し評判を呼びました。ケンペのイギリスの代理人は英EMIの名物プロデューサー、ビクネルに手紙を書き、EMIへの契約を打診します。その後、メトロポリタン歌劇場でも成功を収めたケンペに米Columbiaも興味を持ちます。
フルトヴェングラーの代替だった最初のセッション
結局1955年、ケンペはドイツのEMIと3年の専属契約を結びました。第1回目のセッションは1955年6月、ベルリン・フィルハーモニーと行われました。元々は7か月前に亡くなったフルトヴェングラーのためにスケジュールされていたものでした。<CD1>に収録されているシューマンの交響曲第1番《春》はこのセッションの中で録音されました。
イギリスでの最初のセッションは全てステレオ録音
1955年11~12月にはロンドンのアビーロード・No.1スタジオでフィルハーモニア管弦楽団と初めてのセッションを行いました。<CD5>に収録されたモーツァルトの序曲集と《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》がこの時の録音です。もともとステレオで収録されており、ともにLPはモノラルのみの発売でしたが、序曲集のみはオープン・テープでステレオ発売されていました。《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》のステレオ版はこのCDが初リリースとなります。
一方、1956年にはベルリンでシューマンの《マンフレッド》序曲<CD2>、バッハの管弦楽組曲第3番<CD3>を録音しますが、こちらはモノラル録音です。1957年5月まで、EMIはベルリンでのステレオ録音を行わなかったからです。1957年7~9月のベートーヴェンの序曲集<CD3>《新世界より》<CD1>、1959年5月の《幻想》<CD4>、同年9月の《英雄》<CD2>はステレオ録音です。
名門ウィーン・フィルと録音開始
1958年にはウィーン・フィルとの録音を開始しました。これまでケンペはウィーン・フィルを指揮したことがありませんでしたが、ウィーン・フィルの母体であるウィーン国立歌劇場は数年来振って成功を収めていたので、お互いをよく知る間柄になっていました。1958年から1961年まで、ケンペはウィーン・フィルと多くの録音を行いました。このセットにも<CD4><CD6>~<CD9>に収録されています。この時以降、すべてステレオで録音されるようになります。
ロイヤル・フィルの首席指揮者へ
1960年にケンペはEMIの後押しもあり、ロイヤル・フィルの創設者で首席指揮者のビーチャムより後継者に指名され、翌年ビーチャムが亡くなると首席指揮者に就任しました。1960~61年にケンペはロイヤル・フィルとLP3枚分の録音を行いました(<CD10><CD11>及び<CD12>のワインベルガー)。
1962年1月、ケンペとEMIの専属契約は終了し、亡くなるまでの14年間、様々なレーベルへ様々なオーケストラと録音を行うようになります。<CD12>のロイヤル・フィルとの《シェヘラザード》はケンペがフリーになった後、1967年にEMI傘下のワールド・レコーズのために録音したものです。
円熟のさなかの惜しまれた急逝
1970年代に入るとEMIは再びケンペを起用して、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団とのR.シュトラウス/管弦楽作品全集、ミュンヘン・フィルとのベートーヴェン/交響曲全集を録音しました。
ケンペは1975年にロイヤル・フィルの首席指揮者を辞し、BBC交響楽団の首席指揮者となりました。しかし、その数か月後の1976年、指揮者としての働き盛りの65歳で亡くなり、世界の音楽ファンを悲しませました。(タワーレコード)