FUJI ROCK出演!伝説のバンド=ジャンプ・ウィズ・ジョーイ、ベスト盤&インタビューが到着
89年よりLAを拠点に活動しているジャンプ・ウィズ・ジョーイはオーセンティックなスカをベースにジャンプ・ブルースやニュー・オーリンズ・ソウル、キュー・バップ、ラテン・ジャズなどをミックスした独自のスタイルを打ち出し、日本でも90年代を通して人気があったバンドだ。
90年代末にバンドは解散、中心メンバーのジョーイはカクテルズ・ウィズ・ジョーイを経てクルシャル・ファイヴ、もう一人の中心メンバー、ウィリーはビッグ・ウィリーズ・バーレスクで活動していたが、今回、フジロックの20周年を機に再結成し、さらにベスト盤をリリースすることとなり、ウィリーへのインタビューを行うことができた。
インタビュー:吾郎メモ
--このタイミングで再結成してベスト盤を出すことになった経緯を教えてください
「スマッシュ・ロンドン・オフィスのボスで、僕たちの旧い友達でもあるジェイソン・メイオールのアイデアさ。フジ・ロックの20周年に合わせて再結成してくれないか?と言ってきたんだよ。まずはそれが決まって、次にアキラ(Prking Lot Sounds)がベスト盤のアイデアを出してきて、それに乗ったって感じかな。」
--ベストの選曲はどうやったんですか?JWJはシングルはちょっとしか出してないですよね?
「ライブでよくやる曲や、ファンの反応など、もっとも知られていると思われる曲をジョーイとオレで考えてピックアップしたんだ。」
--最初はギャズ・メイオールがJWJを日本のスカ・ファンに紹介したと思うんだけど、どう思いますか?
「ギャズ・メイオールとジェイソン・メイオールの兄弟が僕らにジャマイカのスカ・ミュージックを紹介してくれたんだ。ジェイソンはロス・アンジェルスに住んでいて、ジョーイとウィリーがやってたバンド、トゥペロ・チェイン・セックスのマネージャーをやっていた。ジェイソンがジャマイカのレコードをいっぱい教えてくれて、僕らはその影響を受けたんだ。それらはロンドンでは簡単に見つけられるものなんだけど、LAではなかなか無いものなんだよね。オレはギャズがロンドンで80年代にやっていたクラブ、GAZ’s Rockin’ Bluesにも行って、そこでも影響を受けたね。1993年と1994年にJWJはギャズのバンド、トロージャンズと日本ツアーを行ったんだよ。パルコとギャズはJWJを有名にするためにヘルプしてくれたと思ってるよ。でも、紹介っていうのとはちょっと違うかな。」
--ギャズと初めて会ったときはどんな感じでした?
「ギャズとは、彼の弟であるジェイソンを通じて知り合ったんだ。ウィリーが最初にギャズと会ったのは1985年に彼のクラブGAZ’s Rockin’ Bluesでだった。ジョーイは90年代初頭に日本で会ったか、ロンドンで”Generations United”(1992年アルバム)のレコーディングで会ったかのどっちかだな。LAで僕たちのやってるクラブ、キング・キングに来たこともあるよ。そこにはフィッシュボーンのアンジェロも来て僕らとジャムったんだよね。Youtubeにそのときのビデオが残ってるよ。」
--あなたたちのデビュー盤”Ska-Ba”(1991)は日本でのリリースでしたよね。どんな経緯があったんでしょうか?
「僕らのよき友人、ジェイソン・メイオールが言ってきたんだ。もしアルバムを録音すればパルコ/クアトロ・レーベルから出すことが出来るよ、って。それで1990年の終わりにスタジオに入って3日間でアルバムをレコーディングしたんだよね。彼はそれを流通させてくれたのに加えて、彼のいる会社スマッシュで3回ツアーに招いてくれたんだよ。」
--JWJの最初の3枚のアルバムは日本のクアトロ・レーベルからリリースされましたよね。JWJは日本では有名なスカ・バンドだと思うんですが、どうですか?
「クアトロ・レーベルのために3枚のアルバムを作って日本に行けたというのはすごい運がよかったと思うよ。 素晴らしい体験だったし、たくさんのいい思い出があるよ。」
--僕はJWJの持つオーセンティック・スカやラテンの雰囲気が好きなんですが、90年代には多くのバンドがネオスカ(例:トースターズとか)やスカ・パンク(例:マイティ・マイティ・ボストーンズ、オペレーション・アイヴィーなど)をやっていましたよね。ネオスカやスカ・パンク、スカ・コアについてはどう思ってましたか?
「オレは特にネオスカやスカ・パンクは好きじゃないんだよね。もっとオーセンティックな60年代ジャマイカのスカ・サウンドが好きなんだ。」
--LAのスカ・シーンについて教えてもらえますか?僕はLAモッズ・シーン(たとえばアンタッチャブルズとか)の一部だったのでは?と思ってたんですが。どのくらいのバンドがいたんですか?
「LAには長い間、常にスカ/モッド・シーンがあるんだよ。実はオレは1987年から89年にはアンタッチャブルズのメンバーだったんだよね。で、90年代初頭にはスウィング・リバイバルの動きが出てきた。だけど、その他のバンドたちは”Hepcat”みたいなスカをやっていたね。」
--様々なルーツ・ミュージック(スカ、ジャンプ&ジャイヴ、Cu-Bop、ニューオーリンズ・ソウル、ラテン・ジャズ、ロックステディなど)をどうやってミックスして自分達の音楽にしていますか?
「バンドはいつでも影響を受けた沢山のスタイルをミックスしているよ、中心となるのはジョーイのレコード・コレクションだね。最初は40年代のジャンプ・ブルース、リズム&ブルースに60年代のジャマイカン・スカを混ぜた。でも、僕たちは最終的にラテン/アフロ・キューバン・サウンドとスカを混ぜる方に動いて行った。ジャズはいつでも僕らに大きな影響を与えていて、ジャスとスカを即興で混ぜていくことに関してはみんなオープン・マインドだったし、とても自然なことだったんだ。」
--伝説のミュージシャンであるローランド・アルフォンソと一緒にやったときのことを教えてください。
「ローランド・アルフォンソとはたくさんの思い出があるよ。LA, NY、そして日本で彼と演った。オレのお気に入りのツアーはローランド・アルフォンソ、アーネスト・ラングリンと演った日本ツアーだよ。本当にグレイトなラインナップ!そして僕らのサードCD ”Strictly For You Volume Ⅱ”をローランド・アルフォンソ、コクソン・ドッドと録音したのはかなり素晴らしい経験だったよ。」
--長い時間が経ちましたが、あなたたちの音楽環境は変わりましたか?
「オレは2002年から、バーレスクを演っていて、それが忙しいのと、プライベートなイベントとクラブ・ワークをハリウッドやダウンタウンでやってる。そして音楽ライセンスの仕事をしているよ。フジロックにもビッグ・ウィリーズ・バーレスクっていう名義で10年位出てるね。ちょうど「シュムーズ・ジャズ」ってニュー・アルバムを出したところ。」
--日本のスカ・シーンのことは知ってますか?
「スカ・フレイムスと東京スカパラダイス・オーケストラに関しては多少知ってるかな。」
--フジ・ロックへの抱負などあれば教えてください。
「フジロックが特別な時間になることを願っているよ。僕らにとってとても感動的な時間になるよ。日本のファンや驚くべきミュージシャンと一緒に演奏できることを楽しみにしているよ。土曜の夜にはJWJのメンバーによるスペシャル・ショウもあるから、見逃さないように注意して!」
掲載: 2016年07月20日 14:06