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『フランスの女性ピアニストたち』第1&2集~ロジェ=ミクロス、ギュラー、ブンダヴォエ、ブルショルリ、ルフェビュール、タリアフェロ、他

ターラ


オーケストラからピアニストのものまで、多種多彩なヒストリカル音源の発掘で親しまれたtahra。オリジナルブックレット翻訳シリーズ2タイトルの発売。今回は『フランスの女性ピアニストたち』と題し、知られざる名ピアニストたちによる1905~59年の貴重音源(モノラル)を2巻、各2枚組に収録しています。輸入盤・日本語帯・解説付。
(タワーレコード)

貴重なフランス女性ピアニストたちの音源!


[CD1]
エメ=マリー・ロジェ=ミクロス

ショパン:子犬のワルツ変ニ長調 Op.64-1,ワルツ嬰ハ短調 Op.64-2,ゴダール:マズルカ第4番,メンデルスゾーン: スケルツォ ホ短調 Op.16-2,ロンド・カプリチオーソ ホ長調 Op.14,無言歌 ハ長調 Op.67-4「紡ぎ歌」,リスト:ハンガリー狂詩曲第11番 イ短調,ハンガリー狂詩曲第13番 イ短調

録音:1905年頃

マリー・パンテ

ショパン:マズルカイ短調 Op.17-4,夜想曲 嬰ハ短調,モーツァルト(偽作):田園変奏曲,アルベニス:グラナダ
録音:1934-36年

ユーラ・ギュラー

ショパン:マズルカハ長調 Op.56-2,マズルカ嬰ハ短調 Op.6-2,マズルカヘ短調 Op.7-3,マズルカヘ短調 Op.63-2,マズルカイ短調,マズルカ変イ長調 Op.7-4,マズルカニ長調 Op.33-2,マズルカ変ニ長調 Op.30-3,マズルカヘ短調 Op.68-4,マズルカロ長調 Op.41-3,マズルカ 嬰ハ短調 Op.50-3
録音:1956年6月25-28日

[CD2]
マドレーヌ・ドゥ・ヴァルマレット

デュフリ:クラヴサン曲集第3巻-第12番「ラ・ド・ヴァルマレット」,スカルラッティ:ソナタニ長調 K.96,ソナタホ長調K.380,ソナタイ長調 K.39,クープラン:キタイロンのカリヨン,花盛り、または優しいナネット,目覚まし時計,神秘的な障壁,ティク・トク・ショク、またはオリーブしぼり機,小さな風車

アニュエル・ブンダヴォエ

バッハ(ブゾーニ編):シャコンヌ,リスト:メフィスト・ワルツ第1番,スペイン狂詩曲,シューマン:幻想小品集 Op.12-夕べに,なぜに

録音:1954-57年

エメ=マリー・ロジェ=ミクロス(1860-1950)は、トゥールーズ生まれ。19世紀の大ヴィルトゥオーゾで練習機器を開発したことでも知られるアンリ・エルツ(1803-1888)晩年の弟子。マスネは≪トッカータ≫を、ピエルネは≪パストラーレ≫を献呈、また、ミクロスはサン=サーンスに委嘱して≪ピアノと管弦楽のための描写的幻想曲「アフリカ」≫を献呈されました。
マリー・パンテ(1871-1955)はオデッサ生まれ。パリ音楽院で学び、パリとジェノヴァで活動しました。「彼女の死とともに、ロマンの太陽の最後の光の一筋が消えた」と言われるほどロマンティックな演奏で人気がありました。とりわけショパンの名演で知られています。
ユーラ・ギュラー(1895-1980)は、ロシア人の父、ルーマニア人の母を持ちマルセイユで生まれました。幼いころから神童として活躍、パリ音楽院を首席で卒業した名手でありながらその美貌もすばらしく、映画女優にスカウトされたほど。エネスコ、フランチェスカッティ、シゲティらと共演し、アインシュタインのヴァイオリンとも演奏したことがある彼女の録音物は決して多くなく、残されたひとつひとつがたいへん貴重で、熱烈な愛好家がいることで知られています。ここには大戦後に復帰した直後のショパンのマズルカが収録されています。
マドリーヌ・ドゥ・ヴァルマレット(1899-1999)は、19歳でパリ国立音楽院に入学、ブゾーニ、サン=サーンス、モシュコフスキの親しい誘因でもあったイシドール・フィリップ門下で学びます。ラザール・レヴィ、コルトー、サン=サーンスにもその才能を認められていました。兄弟がコンサート・マネジメント会社を経営していました。教育者としても知られています。
アニュエル・ブンダヴォエ(1922-2015)は、幼いころからラザール・レヴィにその才能を認められ、1936年9月に彼の正式な門下に入るまで、無償でプライヴェート・レッスンを受けていました。ソプラノのコロラトゥーラとしての愛らしい歌声にも恵まれていましたがピアニストとしての道を選び、ブゾーニ編のシャコンヌの録音(1954年)が認められ、モニク・アースに先んじてヴェルサイユ音楽院で教授職につきました。オルガン、ピアノ、作曲、歌と完璧な音楽家であり、心理学も修めていました。イヴォンヌ・ルフェヴュールも彼女のヴィルトゥオーゾ性を賞賛していました。オクターヴがやっと、という手の小ささながら、完璧な脱力でそうしたことを感じさせない演奏です。
(キングインターナショナル)

ピアニストも豪華なら、共演指揮・オケも豪華な2枚組


[CD1]
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
モニク・ド・ラ・ブルショルリ (Pf)
レオポルト・ルートヴィッヒ(指揮) ベルリン・フィル
(1948年6月20-21日ベルリン ティタニア・パラストLive)

ショパン:夜想曲集 第13番ハ短調、第7番ハ短調、第8番変ニ長調、第4番ヘ長調、第9番イ長調
ユーラ・ギュラー(1959年9月9日)

[CD2]
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番+ラヴェルについて語る(日本語訳なし)
イヴォンヌ・ルフェビュール(Pf)
スクロヴァチェフスキー(指揮)フランス国立管(1959年12月1日)

サン=サーンス:ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」+ショパンについて語る
マグダ・タリアフェロ(Pf)
ポール・パレー(指揮)フランス国立管(1958年4月21日Live)

ブルショルリ(1915-1972)のベートーヴェン。ブルショルリは1937年のショパン・コンクールでフランス人初の入賞(第7位)。1966年の自動車事故によりピアノが弾けなくなり、引退を余儀なくされまました。ユーラ・ギュラー(1895-1980)は、ロシア人の父、ルーマニア人の母を持ちマルセイユで生まれました。幼いころから神童として活躍、パリ音楽院を首席で卒業した名手でありながらその美貌もすばらしく、映画女優にスカウトされたほど。エネスコ、フランチェスカッティ、シゲティらと共演し、アインシュタインのヴァイオリンとも演奏したことがある彼女の録音物は決して多くなく、残されたひとつひとつがたいへん貴重で、熱烈な愛好家がいることで知られています。ここには大戦後に復帰した直後のショパンのマズルカが収録されています。ユーラ・ギュラーに関してのハスキルの興味深い言葉があります:「ユーラ・ギュラー、なんと風変りで気まぐれな女性でしょう。彼女は本能のおもむくままに行動し、たいていの場合トラブルに見舞われます。しかし本当に素晴らしい芸術家です!」。ルフェヴュール(1898-1986)はピアニスト、教師として名を成しました。9歳でコンセルヴァトワールに入学、コルトーとヴィドールに師事。13歳で初リサイタル、14歳でオーケストラと初共演。フォーレ、ラヴェルらと親交を結び、また、1936年からコルトーのアシスタントを務め、サンソン・フランソワにもレッスンをしています。1952-67年、教授を務めました。ポリフォニックな演奏はバッハに向いていましたが、彼女はまたドビュッシーのスペシャリストでもありました。タリアフェロ(1893-1986)はフルトヴェングラー、ミュンシュ、モントゥ。パレー、アンセルメといった指揮者と共演、さらにティボー、エネスコ、カザルスとも共演をした名手。コルトーの弟子のひとりです。アーン、ピエルネ、ヴィラ=ロボスらの作品の初演を手掛けてもいます。赤毛と大胆なドレスもいつも注目の的でした。
(キングインターナショナル(

カテゴリ : ニューリリース

掲載: 2024年06月19日 18:30