推しと略奪結婚した与謝野晶子、絡み酒で太宰治を泣かせた中原中也……42名の「文豪」たちの生き様
“文豪”の作品というと、小難しくとっつきにくいイメージを持つ人は多いのではないだろうか。太宰治や夏目漱石、芥川龍之介などの作品は学校の教科書に掲載され、日本人なら一度は触れてきたことがあるだろう。しかし、それらの多くは100年以上も前の口語体で書かれており、現代の私たちにとっては読みにくく、難解な表現に挫折した経験を持つ人も少なくない。
そんな文豪たちを、生き方から紐解くことで作品を身近に感じさせてくれる書籍が「ビジネスエリートのための 教養としての文豪」だ。文豪の知識をビジネスシーンでの会話の引き出しとしても活用できるよう、教養を深めながら、文豪たちの魅力に触れられる一冊となっている。
●恋愛にかけては猪突猛進!「推しの男」と略奪結婚した与謝野晶子
本作では、「性」「病」「お金」「酒」「戦争」「死」「番外」という7つのテーマに分けて著名な文豪たちを紹介している。そのうち「性」に分類されているのが、「みだれ髪」で有名な女性歌人・与謝野晶子だ。実は、晶子は恋愛にかけてかなり情熱的な女性だったという。
晶子が20歳の時に惚れ込んだのが、人気歌人だった与謝野鉄幹。鉄幹の短歌を読んで憧れを抱き、心惹かれるようになった晶子は、鉄幹に猛アタック。追っかけファンのごとく講演に通いつめて鉄幹を口説き落とすと、1年後に結婚まで至った。
その当時、鉄幹には妻子がいたため、2人の結婚はいわゆる“不倫略奪婚”だった。「みだれ髪」も鉄幹との不倫愛を歌にしたもので、晶子は大きなバッシングを受けることになる。しかし、周囲からの非難をも恐れず、自らの愛と情熱を貫いて日本文学に新たな道を切り開いていった晶子。若い女性が自分の性欲を言葉にすることなど考えられない明治時代に、自身の思いや体験を赤裸々に綴り、後世まで名を残すこととなった。
●酷い絡み酒で行きつけのバーを閉店に追いやった中原中也
続いて、「酒」に関するエピソードに事欠かないのは、「汚れつちまつた悲しみに」のフレーズで有名な詩人・中原中也だ。酒を飲めば誰彼構わず喧嘩を吹っ掛ける、絡み酒をするタイプだったという中也。文壇たちが通う行きつけだったバーを、わずか1年で閉店に追い込んでしまったこともあるという。
また、太宰治との絡み酒のエピソードもある。居酒屋で飲んでいた太宰に対し、中也は「青鯖が空に浮かんだような顔しやがって」などと揶揄をした。それだけでなく、後日たまたま出くわした際にも喧嘩を吹っ掛け、ついには泣かせてしまったという。そんな中也と親交が深かった歌人・安原喜弘は彼と過ごした日々について次のように語っている。
私にとって中也との交友は、決して楽しいものではなかった。思い出はつらく、心重い日々の連続であった。この間、私はいつしか文学思考を捨て、筆を折った。 (※注)
安原は、中也の酒癖の悪さを身をもって経験したひとりだったといえよう。
●病のデパートと呼ばれるほど虚弱体質だった夏目漱石
最後に紹介するのは、「坊ちゃん」「こころ」など、教科書にも載る著作が多い夏目漱石。明治期の文学界で大きな功績を残し、作家として順風満帆に思える漱石だが、「病」に悩まされ続けた人生だったという。漱石は、3歳で罹患した天然痘をはじめ、17歳では虫垂炎、20歳で伝染性の結膜炎、中年以降には胃潰瘍や糖尿病などに罹患した。
さらに、元々神経質でストレス耐性が低かったという漱石。病による肉体的な負担に加え、幼少期の家庭問題、英語の嘱託教師時代のストレスなども重なり、神経が衰弱。最終的に49歳の若さで、胃潰瘍による大量出血で亡くなってしまう。この心身に抱えた病は、作品にも投影された。著者の富岡は、ストレスを背負い続けた漱石の人生について、明治維新による近代化が急速に進められた時代背景も踏まえて次のように評している。
日本の国民たちは、ものすごく無理をしてきました。その国民的ストレスを、近代文学の第一人者たる漱石は、個人のストレスのように引き受けてしまった。 (※注)
「新しい日本語」を作り上げ、明治時代を牽引してきた漱石は、時代の波にも翻弄されてきたに違いない。
破天荒で壮絶、常人には計り知れない激動の人生を送ってきた文豪たち。本書を読むことで、文豪に対するイメージは大きく変わるのではないだろうか。今まで文学作品を避けてきた人も、その人生が反映された作品をきっと読んでみたくなるに違いない。
(※注)富岡幸一郎「ビジネスエリートのための 教養としての文豪」より
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掲載: 2025年03月20日 00:00