インタビュー

The Game

掲載: 2005年03月03日 12:00

更新: 2005年03月10日 15:13


 やはりNWAは、とてつもなく偉大で大きな影響力を持った怪物グループだった。例えばGユニットのヤング・バックがNWAから受けた影響を明言していることも、現在に至るまで彼らの存在が多くのアーティストやリスナーにとっていかに大きな存在であり続けているかを証明している。そしてまた、NWAによって一躍世界に名を広めたLAのコンプトンから、NWAの大きな影響を受けた新たなスターが登場した。それがこのゲームである。NWAのロゴを象ったチェーンをぶらさげ、〈N.W.A.〉とタトゥーを刻み、アルバムも当初『N.W.A. Vol. 1』というタイトルになる予定だったというほど、彼にとってNWAの存在は大きかった。

「NWAからは自由に生きることを学んだ。それに、自分の望んでることを手に入れるには、意欲が強ければ実現できることを学んだ。それがイージーE(NWAのリーダー)の伝えたメッセージさ。彼らが“Express Yourself”を出した時はすごく共感したね。児童施設にいた頃なんだけど、ソーシャル・ワーカーや里親、裁判官に対して、〈間違ってても正しくても、俺は俺らしく生きるぞ〉という気持ちになった。自分の人生を自分で好きなように生きる決意ができたんだ」。

 ゲームもまた、タフなストリート・ライフを生き抜いてきた男である。児童施設で育ち、10代からストリートに出てドラッグ・ディーリングに手を染めた。5回も撃たれて昏睡状態に陥るという危機も経験している。「昏睡状態から復活した時に俺は生まれ変わったし、人生のプランが変わったんだ。その後の数か月間でヒップホップを勉強しはじめたのさ。撃たれる前はラップをしたこともなかった」と話すが、それはわずか4年前の出来事である。

 すでに全米チャートで首位を奪取したファースト・アルバム『The Documentary』については「俺の人生を綴った作品なんだ。〈The Diary Of A Madman〉だよ(笑)。俺が実際に生きてきた人生についてのアルバムなんだ」と話し、タフなストリート・ライフや、ストリートで目にしたものがそこには綴られている。まさにNWAの系譜を受け継ぐストリート出身の〈本物〉であることを証明しているが、それらの生活を美化しているわけではないことにも注意したい。

「美化するようなリリックのせいで、人が撃たれたり、刺されたり、レイプされたりするんだ。だから、もし問題が起きても俺のリリックのせいにはされたくない。俺らはもう大人だから、善悪の区別はつくし、みんな自分たちで決断している。俺はギャング・バンギングも刑務所に入ることも美化してねえぜ。みんなにも俺がやってきたのと同じことをしろと言ってるわけじゃないんだ。俺のリリックを教訓にしてもいいし、好き勝手やっても構わない」。

 そのようにストリート・ライフを語るラッパーなら、USのみならず世界の至る所に存在するが、ゲームがその局地的な支持を全米規模の大きなステージへと押し上げた要因を考えると、そこに抜きん出た表現力やフロウがあることがわかるだろう。

「東海岸の連中を満足させるのは難しいことなんだ。ウェストコーストは、俺が新しい西海岸出身の神童だから、どっちみち注目してくれるだろう。じゃあ、どうやってそういうエリアの境界線をクロスオーヴァーできるのか? 俺はNYやサウスでも平均以上のサウンドに聴こえるように、自分のレヴェルを上げるために東海岸のラップからメタファーの使い方やライム・パターンを勉強したんだ。それをアイス・キューブ、2パック、ドレー、スヌープ、MCエイトからの影響と混ぜて、そこからゲームの新しいフロウを生みだしたってわけさ。俺の古いテープといまのスタイルを聴き比べるとまったく違うぜ。俺はいつも勉強してるし、進化してる。毎日ステップアップしてるんだ」。

PROFILE

ゲーム
LAはコンプトンの出身。5歳から母親と離れて児童養護施設で育ち、NWAやMCエイトなど地元のラッパーに憧れる少年時代を過ごす。ハスラー生活を経て2001年にラップを開始し、2003年にJT・ザ・ビガ・フィガの主宰するゲット・ロウと契約。同年にナズとの連名作『Q.B. 2 Compton』をリリース。2004年に入ってドクター・ドレーと50セントにフックアップされてGユニット/アフターマスと契約する。ミックステープを基盤に数々のビーフでも名を上げ、シングル“Westside Story”でメジャー・デビュー。“How We Do”のヒットを経て、このたびオリジナル・ファースト・アルバム『The Documentary』(G Unit/Aftermath/Interscope/ユニバーサル)がリリースされたばかり。

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ソース: 『bounce』 262号(2005/2/25)

文/高橋 荒太郎