Indus & Rocks
ジャム・バンド的なスタイルや音楽性を包含しながら、その規格からも鮮やかにはみ出してゆくスリーピース・バンドよりファースト・ミニ・アルバム『Hidaripokenicca』が到着。スリリングなインプロも情緒豊かな歌モノも並列させるスキルフルなメンバー3人に話を訊いた。
テーマやイメージを探すところから始めた
――結成は2005年ということですが、どういういきさつで結成されたんですか。
黒澤次郎(ギター/ヴォーカル)「もともと高校の時にコピー・バンドをやってて、そのバンドのギターが彼ら(太田、岩野)と同じ中学校だったんですよ。その繋がりもあって、文化祭のライヴを観に来てくれて。で、それとは別に彼らはチンコニコっていうバンドをやってたんですけど……」
――すごいバンド名だ(笑)。
黒澤「(笑)で、高校卒業と同時にそれぞれ空中分解しちゃったんですね。でも、俺はまだバンドをやりたかったんで、2人に声をかけたんです。その時はもうひとりギターがいて4人組だったんですけどね」
――それぞれ高校の時にやってたのは、どんなバンドだったんですか。
黒澤「僕がやってたのはGOING STEADYとかHi-STANDARD、BRAHMANのコピー・バンド。高校の時に流行ってた音楽をやってた感じというか」
太田敏明(ベース)「俺も同じですね。その頃はみんなそのへんをコピーしてましたから」
――世代的にはAIR JAM世代にあたるのかな。
黒澤「いや、3人とも85年生まれだから、その3つ、4つ下ぐらいですかね。高校の先輩がちょうどド真ん中で、先輩たちがコピーしてたのを見て覚えた感じですね」
――楽器を始めたのは高校に入ってから?
岩野真央(ドラムス)「僕はそうですね。幼稚園から小6まではヴァイオリンをやってたんですけど、ドラムを始めたのは高校から」
黒澤「僕は8歳からクラシック・ギターを弾いてたんですけど、中学の入学祝いにエレキ・ギターを親に買ってもらって、いちばん最初はヴェンチャーズを弾いてました。その後になってX JAPANとかイングヴェイ・マルムスティーンをコピーするようになって。とにかく速弾きを練習してましたね」
太田「僕は中学の時はギターを弾いてたんですけど、高校になってからベースを弾くようになって」
――中学はみんな東京なんですよね?
黒澤「そうですね。この2人が東久留米で、僕は東村山。その近辺で出会っちゃった感じですね(笑)。ただ、その頃は遊び仲間というほど親しくはなかったんですよ。たまに会う程度だったから」
――じゃあ、〈仲がいいからバンドをやろう〉というノリではなかった?
黒澤「そうそう。まずはバンドをやろうと。やるなら真剣にやろうと話してましたね。それが2003年ぐらいだったんですけど、大学の受験があった真央が1年ぐらい離れたりしてたんで、実際はほとんど動いてなかったんですよ。ちゃんとライヴをやりはじめたのは2005年からですね」
――最初はどういうバンドをやろうという話になってたんですか。
黒澤「いや、最初はよくわかってなかったんですよ。たまたまライヴでいっしょになったバンドのやり方をちょこちょこ採り入れたり、とにかく実験してる感じでしたね。具体的にコレをやろうって決めていたわけではないし、それはいまも変わらないんです。明確なイメージがあって突き進んできたわけではなくて、テーマやイメージを探すところからやってたというか。ただ、少なくともバンドはメチャクチャやりたくて」
――ライヴで対バンしてたのは、どういうタイプのバンド?
黒澤「ハードコア・バンドですね。それまで爆音で音を浴びたことがなかったから、とにかく爆音を鳴らしてるところに圧倒されちゃったんですよ。でも、自分の声質やプレイ・スタイルを考えると、〈俺らがそれをモロにやるのもどうかな〉と思ってて、ずっと模索してきた感じですね。いろんな音源を分析しまくった時期もあったし、逆に分析なんて一切しないで〈ギターをブン投げろ!〉みたいな時期もあって(笑)」
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